2025年11月30日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「慰め主」ヨハネ16:12‐16
イエスはご自分が去って行くことは弟子たちにとって、益であると教えられた。

ヨハネ16:7は詳訳聖書では次のように補足されている。

「しかしながら、わたしはただ真実をあなたたちに告げているのである。わたしが去るのはあなたたちのために益である〈良い。得策、有利である。〉なぜならば、もしわたしが去って行かなければ、慰め主〈助言者、助け主、弁護者、とりなす者、激励者、援助者〉は決してあなたたちのところに〈あなたたちと深い交わりを持つように〉来られないからである。けれどもわたしが去るならば、わたしはそのかたをあなたたちのところに〈あなたたちと深い交わりを保つように〉つかわす」聖霊は弟子たちと深い交わりを持つおかたとして来られた。聖霊は、父なる神とイエスと一つであられる。父なる神と子なるイエス、聖霊なる神の御働きは異なっていても、世に永遠のいのちを与え、神の子の位を与えるという目的は完全に一致し、父なる神と子なるイエス、聖霊なる神の間には愛による調和がある。聖霊の力強い御働きは、使徒の働きに記されている。弟子たちを中心に始まった初代教会の全ての働きは聖霊主導のもとで行われていった。使徒たちは何よりも聖霊を崇めて聖霊に依存していた。使徒たちのように、聖霊を崇め聖霊に依存し、聖霊に従うことなくしては、信徒も教会も神の輝かしい栄光の御業をみることはできない。使徒パウロは聖霊によって新しいいのちを得、聖霊によって神のしもべとして自分を推薦する者となり、聖霊によって人生の主導権を明け渡して、父なる神と子なるイエスと聖霊と思いを一つにしていた。(使徒20:17-24)慰め主なる聖霊は時代を超えて、苦しみにあるすべてのキリスト者とともにあり、慰め、助け、励まし、とりなし、弁護してくださる。讃美歌の「善き力にわれ囲まれて」はドイツの神学者であり牧師であるディートリヒ・ボンヘッファーが獄中で書いた詩が元にされている。聖霊は片時も離れず彼の最期のときにも彼を慰めたのだろう。

「善き力にわれ囲まれ」

1.善き力にわれ囲まれ、守り慰められて、世の悩みともに分かち、新しい日を望もう。

2.過ぎた日々の悩み重く なお、のしかかるときも、さわぎ立つ心しずめ、みむねにしたがいゆく

3.たとい主から差し出される杯は苦くても、恐れず感謝をこめて、愛する主から受けよう。

4.輝かせよ、主のともしび、われらの闇の中に。望みを主の手にゆだね、来るべき朝を待とう。

善き力に守られつつ、来るべき時を待とう。

夜も朝もいつも神は われらとともにいます。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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