2025年9月7日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「インマヌエル」ヨハネ14:25-31
「万軍の主、主を聖なる者とせよ。主こそ、あなたがたの恐れ。主こそ、あなたがたのおののき。」イザヤ8:13神の聖は神の御本質の一つだ。
旧約聖書で明らかにされている神のお姿は、人が近づくことも、見ることも許されない神であり、もし、人が近づくならば神のきよさに打たれた
罪ある人間がそのままの状態で聖であられる神に近づくことは許されない。*(伝道者の書12:13,14)
終わりの日に私たちの神は悪魔を滅ぼし、神の御前にすべての人をさばき、新しい天と新しい地を統べ治められる。その時、神はすべての民の賛美と栄光をお受けになる。
恐れられるべきお方が人の救いのために御計画し、成し遂げられた方法は、誰も想像できなかったことだった。*(Ⅰコリント2:1,2,8、9)
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」
神であられるキリスト・イエスが人の身代わりとなってさばきを受け、世界を救う神のシナリオを誰が予想できただろうか。神の御本質である愛とあわれみは、すべての罪を覆い尽くした。それだけでなく、神を愛する者たちが、この地上にあって激しい闘いを戦わなければならないことをご存知であられる神は、イエスを通して聖霊を与えてくださった。
ヨハネの14章では、父のもとに帰ろうとされるイエスが、弟子たちに語り、決してあなたがたを孤児とはしない。わたしは必ず戻ってくるし、聖霊がいつもあなたがたとともにおられるようになるのだと、真理を語られる。ペンテコステの日に、イエスのことばが現実となり、聖霊を受けた弟子たちによって神の宣教の御業が力強く動き始めた。聖霊が、イエスが、父なる神が、神を愛する私たちのうちに住まわれ一つとされるとは、超自然的な驚くべき恵みだ。神は神を愛する者とともにおられる。しかし人は、今も昔も神がともにおられることを疑う。メリバでの民の叫びは「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」という神への不信の叫びだった。インマヌエルの神は私たちとともにおられる。
私たちのうちにおられる聖霊は、試練のときに私たちを励ます。イエスのことばを思い起こさせ、真実としてこころに刻みつける。
殉教していった使徒たちのうちには、イエスと同じ平安があったのかもしれない。自分の想いを行うのではなく、ただ神が命じられることに従う平安と、約束の御国に帰る希望は、
使徒たちが試練にひるむことなく進む力だったのではないだろうか。