2025年8月24日 基督聖協団目黒教会 馬上野々花神学生

「神は約束に忠実なお方」創世記21章1-7節

21:1に注目すると「サラを顧みられた」「サラのために行われた」とあります。この言葉からは、不妊であったサラに対する神の温かい眼差しを感じ取ることができます。サラは旅をはじめたものの、一向に子どもが与えられませんでした。子が産まれない苦しみには、主への信頼の揺らぎといった霊的な苦しみが伴っていたことでしょう。先の見えない旅の中で、一向に子は与えられないという状況は、主の約束への信頼を揺るがしました。サラは10年たっても子が与えられな現実に直面する中で「アブラハムの子を生むのは自分ではないのではないか」と考えるようになりました。そして当時は当然であった、自らの女奴隷を夫に妻として与え、女奴隷に子を生ませるという方法をとりました。しかし、自分がみごもったと知った女奴隷ハガルは、女主人であるサラを軽く見るようになりました。サラはハガルに対し激しく怒りました。サラには、長年待ち望んでも与えられなかった子を女奴隷が身籠っているという嫉妬が湧き上がってきます。ハガルの子イシュマエルの誕生は、サラにとって一番辛いときだったのではないでしょうか。主は、イシュマエルが生まれてから13年間沈黙されます。そして主は99歳になったアブラハムと89歳になったサラのもとに現れ、再び約束を語られました。神の約束の言葉を聞いたとき、二人は笑いました。「90歳の夫婦になってしまった私たちが子を授かるなど不可能だ」そう神の言葉をあざ笑いました。しかし主は、サラとアブラハムに与えた約束の通りに行われました。アブラハムが100歳の時にイサクは生まれたのです。サラは「神は私に笑いをくださいました。これを聞く人もみな、私のことで笑うでしょう」と神を賛美しています。二人は神の言葉をあざ笑う笑いから、神の御業を喜ぶ笑いへと変えられたのです。主はサラの嘆きをすっかり拭い去り、全き喜びへと変えてくださいました。主は人の目には不可能だと思えるような状況をも覆すことのできるお方です。私たちの主は、アブラハムとサラの旅路をもって示されたように、約束を果たしてくださるお方です。神様の約束が信じられない時、疑ってしまう時があります。サラは先が見えない中においても、自分が置かれた場所に静かに留まり続けました。そこには、サラの内に光続けた小さな信仰を見ることができます。サラとともにおられた主は、私たちと共におられ、サラに尽くされた真実を、私たちにも尽くしてくださいます。この主に信頼して、今日も生かされて参りましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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