2025年8月17日 基督聖協団目黒教会 横山さおり師
「弱さを覆う力」ヨハネ14:19-24
イエスと父の間には強く結ばれた父子愛と揺るぎない信頼関係があった。イエスは父との麗しい愛の交わりのなかに私たちを加えると語られる。これは驚くべきことだ。神であられるイエスが、そして父が、ちりで造られた罪の性質を持つ卑しい人間のうちにすまわれる。この事を通して、イエスの開いてくださった救いの力が完全であることを誉め讃えずにはいられない。「わたしの戒めを持っており、それを守る人はわたしを{ほんとうに}愛する者である。わたしを{ほんとうに}愛する者はわたしの父に愛される。わたしも{また}その人を愛して、彼に私自身を示す{啓示する、現わす}{わたし自身を彼にはっきり示す[目の当たりに示す]}」(詳訳聖書)イエスの戒めを守る者にイエスは御自身をはっきりと啓示される。啓示を受けた者はイエスを知り、また父なる神を知る。パウロは信徒たちがキリストの愛を知ることによって充ち満ちた幸いを得るように祈る。(エペソ3:16-19)
イエスの愛、真実、力を知ることは私たちの人生を不安や恐れから守る。私自身、心身ともに疲れ果て、生きる自信を失い倒れ込んでしまうときがあった。その時イエスの優しさが心に触れた。イエスがともにおられて弱い私を良しとされているのを感じた。イエスを信じる者の内にはイエスが住み、御自身を現わされる。(ヨハネ14:23)イエスの愛を知った者は、「互いに愛し合いなさい」というイエスの命令を守りたいと願うがそれは簡単ではない。イエスも父も私たちに善を行う力がないことを承知済みだ。良い行いは神の恵みによって行われる。人の力ではない。神の御前に価値あるものは砕かれたたましいだ。愛を行うことが出来ない自分の弱さを認めて神の愛顧にすがる者に神のいつくしみは留まる。「霊において貧しい者{自分をつまらない者と評価する謙遜な人}は祝福されている{幸福である、うらやましい状態にある、霊的に栄えている[すなわち、外側の状態にはかかわりなく神の愛顧と救いに生命の喜びと満足を得ている]}なぜなら、天の国はその人たちのものだからである。」(詳訳聖書)神の栄光は人の弱さを通して現わされる。(Ⅱコリント12:7-10)与えられたトゲのために、真剣に神に向き合い祈るパウロに主は語られる。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」
主のおことばを受けて、「私が弱いときにこそ私は強い」とパウロは宣言し、自分の人生を神の御手に明け渡し、神の力と神の方法で神の栄光だけが現わされることを期待した。全てを捨てたイエス。このお方を愛し、イエスにすがり従う者を神は愛される。イエスと父なる神はその人のうちに住み、私たちの弱さはイエスの御力でおおわれ神の栄光だけが輝く。