2025年6月22日 基督聖協団目黒教会 馬上野々花神学生
「慰めることができます!」Ⅱコリント人への手紙1章3-7節
このⅡコリント人への手紙は、パウロがコリントの教会書いた手紙ですが、この手紙は「神の慰め」についての話から始まります。今日はこの個所から三つのことに目を留めたいと思います。
まず一つ目は「神は、私たちを慰めてくださる」ということです。パウロが語る「神の慰め」は彼の実体験です。パウロは5節で私たちに「キリストの苦難」があふれているように、キリストによって、私たちの慰めもあふれている言います。この「キリストの苦難」とはキリストの足跡を辿る道です。キリストは迫害を受け、弟子から裏切られ、貧しさを経験し、孤独を知っています。私たちが過去に経験した痛みをイエス様は誰よりも理解してくださっています。私たちは、イエスさまの十字架の苦しみは、死への勝利、サタンへの勝利へと代えられたことを覚えたいと思います。苦しみの中には、いつも時に適ってふさわしく、神の慰めと希望があります。神は私たちに慰めを与えてくださるお方です。
二つ目に教えられたいことは「私たちは苦しみの中にある人を慰めることができる」ということです。パウロは四節で「神は…私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」と語ります。私たちが涙する日々は、決して無駄ではなく、その痛みを味わったからこそ、出会った主の慰めがあります。それは他者にとっての慰め、その人が主の希望を見据え、苦難を耐え抜く力となっていくのです。私たちは、隣人の痛みに心を合わせ、共に痛みを感じながらも「どのような苦しみの時にも、私たちを慰めて」くださる神を指さし、共に主イエスの方へと足を進めていく者となることができるのです。
最後の三つ目は「私たちは苦しみと慰めをともにするキリストの身体である」ということです。7節では「私たちがあなたがたについて抱いている望みは揺るぎません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めもともにしていることを、私たちは知っているからです。」とあります。パウロはここで共同体、キリストの身体を意識しています。パウロの苦しみは彼らの苦しみであり、パウロの慰めは彼らの慰めであるということです。パウロとコリント教会が離れたところにいたように、私たちも日常において遣わされている場所は、それぞれに異なります。けれど私たちはキリストにあって一つです。あなたの痛みは私の痛みであり、あなたが受ける慰めは私の慰めであるのです。私たちは痛みも慰めも共有し合う、キリストの身体であることを覚え、互いのためにとりなし祈り合い、手を取り合って参りたいと思います。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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