2025年6月8日 基督聖協団目黒教会 横山さおり師
「ひとつの想い」ヨハネ14:8-11
イエスはわたしを見る者は神を見たのであり、わたしを知る者は神を知るのです。と父なる神とご自分が一つであると告げる。
(ヨハネ1:18)旧約聖書に見られるイスラエルに対する神のさばきは、聖書を読む人を震え上がらせる。悪をさばく厳しい神だ。しかし、神の深い愛とあわれみの御本質は旧約聖書から新訳聖書まで現されている。神は背信を繰り返すイスラエルに激しいさばきを宣告するとともに、深い愛とあわれみのおことばを預言者たちに授け、神の力強い御手で彼らを神の民として霊的に回復させると約束された。「わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするため。」罪によってご自分から遠く離れたイスラエルの民と、万人を、必ずご自分のそばに引き寄せるという、神の燃えるような愛は、イエスのおこころの内にも燃えていた。父なる神のふところにおられたイエスは、血と肉で造られた体を持ち、人とともに生活し、温もりのある御手で人に触れた。イエスはご自分と神が一つであることを語り続けられた。神と一つであることを証明するための奇跡を数多く行った。
イエスは罪人に寄り添い、人の弱さをあわれみ、罪人が神に立ち返ることを喜ばれた。弟子たちは人を救うために自らへりくだり、愛と忍耐の限りを尽くされるイエスのお姿を見た。飢え乾く人のこころを潤す真理のおことばを聞いた。弟子たちはイエスの内におられる父を見て知ったのだった。
(ヨハネ6:35-40)神の願い、イエスの願いはご自分により頼むものたちに永遠のいのちを与えること。終わりの日によみがえらせることだとイエスは強調して語る。この一つの想いは、子を与える父の苦しみとイエスの従順という二つの苦しみによって成し遂げられた。イエスは神としての位を捨て、神としての栄光も捨てられた。
私たちの罪のためにむちで打たれ肉を裂かれた。私たちの不義のために家畜のように打ちたたかれ、そしりと屈辱を受けた。十字架の上で血を流し、罪人として呪われた者となった。イエスは真にすべてを捨てて私たちの義となり癒やしとなり、父なる神のもとに行くための道となられた。(ヨハネ15:12,13)
ひとり子を与えた父なる神の愛と、すべてを捨てたイエスの愛は、愛する者のためにご自分を犠牲にするという、偽りの無い真の愛だった。私たちは愛を知った。真の愛は、口先だけのものではないことをイエスは教えた。真の愛は、痛みと犠牲を伴うものなのだと。
(Ⅰヨハネ3:16-18)私たちは偽りのない愛をこの身に受けた。この神の愛にどのように応えれば良いのか。私たちは、それぞれが与えられている信仰のはかりに応じて、一番近い隣人に対して、恐れずに良いわざを行い続ける者とさせて頂きたい。
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る