2025年5月18日 基督聖協団目黒教会 馬上野々花神学生
「平安があなたがたにあるように」ヨハネの福音書20章19-23節
今日の聖書箇所は、週のはじめである日曜日の夕方の出来事です。イエス様の弟子たちは、ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけて閉じこもっています。なぜなら先週、師であるイエス様が十字架刑に処せられ、殺されたため、その弟子であった自分たちも同じように殺されてしまうのではないかと、恐れたからです。さらには、イエス様を裏切って、逃げてしまった自分への責めや、イエス様が死んでしまったという失望感や敗北感、無力感を感じている者もあったかもしれません。彼らは自らの弱さ、恥、恐れに直面する中、心を堅く閉ざし、下を向き、うずくまって身動きがとれなくなってしまいました。戸に鍵をかけた部屋の中には力を失った弟子たちの弟子たちの姿は、私たちと重なる部分があります。自分が犯した失敗。過去のトラウマや傷、いまぶつかっている壁、そういった出来事が自分の前に大きく立ちはだかり、恐れや恥、無力感でいっぱいになり、身動きがとれないように感じることがあるかもしれません。ですが、そんな、弟子たちの閉ざされた部屋の真ん中にイエス様は、復活の身体をもって現れ、「私は今も生きて、あなたたちと共にいる、あなた方は一人ではない」ということを示してくださいます。さらにイエス様は、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と語られます。イエス様が私たちに与える平安とは、神との和解です。イエス様を捨てて逃げた弟子たちは自分を責めていたことと思います。そんな彼らの「平安」を祈りました。このイエス様の祈り、「平安があるように」という言葉は単なる願望ではありません。神が言葉で天地を創造されたように、主イエスの語られる言葉は権威ある言葉であり、イエス様の口から出る言葉は私たちの現実となるのです。「平安があるように」というイエス様の言葉は、私たちへの罪の赦しの宣言なのです。
私たちは人生の中で起こる様々な出来事の中で恐れや失望を経験します。ですが、私たちが忘れてはいけないのは、主は今も生きておられるということ、そして閉ざしてしまった心の中にも主はいつも共にいてくださるということです。神様はご自分のひとり子をお与えになるほど、この世界をそして私たちを愛しておられるということです。私たちは、恐れや失望のなかにあっても決して一人ではないのです。さらにイエス様は、彼らに聖霊を与え、彼らをこの世に遣わすことを宣言されました。彼らは赦された者から、赦しを宣言するものとさせられるのです。暗い部屋に鍵をかけ閉じこもっていた彼らは、聖霊によって立ち上がりました。私たちはこの同じ御霊を受けているのです。私たちは無力な存在ではなく、力ある者です。私たちこの聖霊によって日々生きる力を与えられて参りたいと思います。私たちの日々の困難の中にも「平安があるように」と語ってくださる主の臨在を覚え、聖霊の御力を仰ぎ求めて参りたいと思います。
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る