2025年4月27日 基督聖協団目黒教会 馬上野々花神学生
「神の御心に生きる」ヨハネの福音書6章35-40節
4月26日は私たちの愛する横山聖司牧師の葬儀が執り行われました。御国の希望を胸に抱く時となりました。ですが、地上での別れはやはり悲しいものです。あの身体をもって共に過ごした日々を想うとき、切ない気持ちになります。教会で「私たちはひとつ」を共に賛美しながら、神の家族であることを喜び合いながら握手した手、おいしい食事をともに味わったこと、御言葉を語る力強い声。あの体をもって、共に過ごした日々を想い出すとき、やはり寂しいと感じるのです。
先日、夫と夜のドライブをしました。夜道をドライブする中で、幼いころの父との思い出がよみがえってきました。新しい水色の車を買った時、それがうれしくて、家族皆で夜にドライブに出かけたこと。私は父の運転に安心して後部座席で眠っていたこと。そんな些細な光景を思い出して涙が出てきました。
私たちは、このように故人の死を前に、涙を流すことがあります。イエス様は、私たちは涙を流すとき、その傍らで共に涙してくださいます。私たちは御国の希望を抱きつつ、一時の別れを悲しみ、安心して涙を流してよいのです。けれど私たちは失望しません。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。…わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。…わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(聖書)
イエス様は、いのちのパンです。いのちのパンに与る人は決して渇くことがありません。イエス様は、十字架上で人の罪のために死なれ、私たちに救いの道を開いてくださいました。私たちは、いのちのパンに与っているので、永遠のいのち、終わりの日に復活のからだをいただくことが約束されています。私たちは、御国がこの地に到来するとき、復活のからだをもって、「私たちはひとつ」を共に賛美し、再び、喜びの握手を交わしたいと思うのです。私たちは、いのちのパンに与っているので決して飢えることがありません。死を前にしても、よみがえり、復活の希望を受け取ることができるからです。
神の願いは、人々がイエス様を信じ、よみがえりのいのちに与ることです。イエス様は神様の御心に従順であり、十字架の死に向われました。そして横山牧師も、神の御心に生き、この教会で福音を宣べ伝え、キリストの愛で隣人を愛し、主を証しする召しに生き続けたことを思います。私たちもこの地を生かされたものとして、いのちのパンであられる主キリスト・イエスを証しする共同体として、主に用いていただきたいと願います。主のみこころの内を生かされて参りましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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