2025年4月20日 基督聖協団目黒教会 横山さおり師
「天の住まい」ヨハネの福音書 14:-1-4
ユダが暗い夜の外に出て行き、イエスを亡き者にしようとする悪魔の手はイエスに近づいていた。イエスが捕らえられ、処刑されるのであればイエスの弟子である彼らにも同じ運命が待っているに違いなかった。弟子たちの目はおののきに色を失い、腰からは力が抜け恐怖が彼らを支配した。
「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
死の恐怖が迫り来るなかで「心を騒がすな」とは無理な話だ。
しかし、イエスは心の目を神に向けて神に信頼せよと語られる。
私たちは目に見えないお方、また目に見えない世界を信じて歩む信仰者だ。二千年前にイエスが私たちの罪の身代わりとなり、十字架で死んでくださったことを私たちは信じている。また、ひとり子イエスをお与えになるほどに神が罪人を愛しておられることを信じている。聖書を通して語られている、罪人を諦めることのない神の愛は、私たちの心と魂を捕らえて離さない。
私たちはイエスを信じ神の子とされてから、この目に見えない方を父として信頼し、寄りすがり、人生を歩む。
しかし、私たちが歩む道は平坦ではない。「神よ、あなたはどこにおられるのですか。」とつぶやかずにはおられないときがある。目に見えない神から心の目を離し不安と恐れに溺れるときがある。私たちが体験する様々な試練のなかで、最も険しい試みは「死」ではないだろうか。すべての人が人生の最後に渡らなければならない難関の大川だ。
今、弟子たちは大きな試練のときにあった。心のよりどころである、愛するイエスがこの世を去り、弟子たちの目から見えない場所に行ってしまわれる。そして、イエスを襲った苦難が自分の目の前に迫っている。まさに絶望のときだった。
*(ヨハネ14:1-4)
イエスは恐れる弟子たちを励ます。イエスの御目は、御自身がこれから帰り行く輝く天の御国だけを見つめていた。その輝かしい御国に、イエスを信じるすべての人を引き上げるためにイエスは十字架の道を進まれる。
*(ヨハネ3:16)「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
世界が創造されたその日から、神が人に与えたいと願ってやまないのは永遠のいのちであり、永遠に神とともにいる世界だ。
映画レ・ミゼラブルのラストシーンでは自由と平等を求めて闘い、命を落とした民衆や、貧困に悩み、病に倒れ地上で報われることのなかった人々が、天で力強く歌う。「地上で苦しみは絶えないが、どんな暗い夜も明け、必ず日が昇る。剣を捨て、鋤をとり歩み行けば、皆に恵みがもたらされる。味方となって隊列に加われ。憧れの世界、主の国で自由に生きる新たな未来が来る。」
私たちも神の助けにすがり、今ある苦しみに耐え、イエスが備えてくださった御国を求めて生きて行きたい。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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