2025年3月30日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「ペテロ」ヨハネ13:36-38
「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」イエスの招きを受けた漁師ペテロは財産であった舟も、家も父、母、妻、家族をも捨てて即座にイエスに従った。また、イエスは取税人であったマタイに御目を留められた。取税所に座っていたマタイを「わたしについて来なさい」と招かれた。マタイもすべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。彼は仕事仲間を自宅に招きイエスを盛大にもてなした。マタイは安定した収入を得て豊かな生活をしていた。しかし、大宴会の後、マタイが再びもとの仕事や生活に帰ることはなかった。聖書では献身に対するイエスのお考えの厳しさが現わされている。*(ルカ9:57-62)59節のおことばは詳訳聖書では「主よ。まず行って、私の父が亡くなるのを待つことを許してください。」と補足されている。イエスに召された者は、ときに財産を捨て、家族から離れ、親を看取るという責任をも神にゆだねてイエスとともに前に進まなければならない。それは、弟子たちを通して神の福音が伝えられることにより、人々を死からいのちへと移す神の約束が地上で現実となり、この世界に神の御力が現わされるためだ。そして神の救いが完成されるときがくる。救いの完成とは神が永遠に統治される御国の実現だ。イエスの弟子たちが神からの使命を負って目指すゴールはこの神の国だ。弟子たちはイエスに従うことで、この世的な名誉、地位、財、名声、落ち着いた生活さえも失った。イエスは彼らの従いを高く評価し、従いに対する豊かな報いがあることを約束される。*(マタイ19:27-29)ペテロがイエスのためにいのちも捨てます。と言ったことばは、決して安易に出たことばではなかった。今までのようにイエスについて行く決心が弟子たちのこころにはあった。弟子たちはイエスを愛していた。しかし、イエスが捕まえられた夜。弟子たちはイエスを残して逃げ去り、ペテロはイエスなど知らないと三度否定した。*(マタイ26:69-75)このペテロの出来事は人には自分ではどうすることも出来ない弱さがあることを浮き彫りにしている。しかし、イエスは弟子たちに失望しておられなかった。
「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」実に、イエスが「後にはついて来ます」と語られたように、ヨハネ以外の弟子はみな殉教の死をとげたことが伝えられている。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」人にはイエスに従う力はない。しかし聖霊には力がある。キリスト教の歴史がそのことを証明している。