2025年3月23日 基督聖協団目黒教会 馬上真輝師
「私たちは一つ」コリント人への手紙第一12章12-27節
パウロは12節で「ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です」と語っています。パウロはここであえて「キリストもそれと同様です」と語ることで、教会はキリストのからだであり、キリストと教会はとても密接で豊かな関係性をもっているということを表現しています。そしてキリストのからだである教会は、人の体がそうであるように、多くの部分が存在していて、その多くの部分が一つとなってからだを形作っています。私たちは皆、一人一人違う存在でありながらも、同じ御霊によってバプテスマ受けた、一つのからだの一部です。また、体の中に全く同じ役割を担う部分は存在しません。神様は、みこころにしたがって体の中にそれぞれの部分を備えてくださって、役割の大小はさまざまでありながら、すべての部分で一つの体となるように作られました。キリストのからだである教会もまた同じように、皆がそれぞれ違った役割を持ち、一つのからだ、キリストのからだを作り上げています。神様は、全体が調和するようにからだを組み合わされました。25節「それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。」体の各部分が反発しあったり、あるいは離れあったりしては、体は分裂してしまいます。キリストのからだである教会は、そのような分裂がなく、むしろ各部分がお互いに配慮し合い、調和して一つのからだとなるようにと、神様によって組み合わされているのです。そのような教会は、一つのからだとして、痛みや喜びを全体で共有します。誰かが痛み苦しむなら、主であるキリストを通して、からだの各部分である一人一人が痛み苦しみを共有します。また誰かが大切にされるなら、主であるキリストを通して、一人一人が喜びを共有します。私たちはまさに「キリストのからだであって、一人ひとりはその部分」なのです。みなさんは今どのような中にあるでしょうか。イエス様は、私たちのことをよく知ってくれています。私たちのことを、自分のことのように思ってくれています。そして私たちもキリストのからだの一部としてそれらを共有しているのです。今目黒教会は、主任牧師である横山聖司先生の病のことで、皆が痛み、思いを一つに祈っています。病の中にある聖司先生の心を思い、胸を痛め、主に祈っています。ここにキリストもおられます。どうかこの教会が、キリストのからだとしてますます一つになり、主の栄光の表される教会になっていくようにと願います。