2025年3月16日 基督聖協団目黒教会 馬上野々花神学生
「主のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道者の書3章11節
本日の聖書箇所である伝道者の書は知恵の書と呼ばれます。この伝道者は、地上で起こっている一切の事柄を見極めようとします。そんな彼はこの世界のすべてを見てこの世界のすべては「空」「空しい」といいます。伝道者は、正しい人が正しいのに滅び、悪しき者が悪を行う中で長生きすることがあるといいます。そして、善人も悪人も。知恵ある者も、愚かな者も、みんないつかは同じように死を迎えるという現実があります。これは、もっとも空であると言います。正しい人によいことが、悪い人に悪いことが起こるとは限らないのです。私たちの人生は、突然嵐に見舞われることがあります。「人生にこんな悪いことが起こるなんて、自分はなにか大罪を犯したのだろうか。身に覚えはない。」「何故、私の人生にこのようなことが。どうしてあの人の人生にこのようなことが起こるのか。」そのような中で、伝道者の書が指し示す「神の時」から大切なことを教えられます。伝道者の書では、一章から「日の下」で生きること、その人生の虚しさが語られています。しかし三章では、日の下から人生を見つめるのではなく、天の下から人生を見つめています。地上から目を離し、天の眼差し、神様の視点へと移り変わります。私たちの目に望ましくないと思えるようなことも、神の御手の中にあり、神様の眼差し、永遠という視点から見た時、それは神様の「美しい」計の一部であるということです。それと同時に「神は人の心に永遠を与えられた。しかし、人は神が行うみわざの初めから終わりまでを見極めることができない」と続きます。神様はこの天地を創造されました。宇宙という私たちの手に到底、収まらない壮大なスケールを管理されているお方です。私たちは、人間は、神様の大きなご計画とその御業を知り尽くすことはできないのです。「私たちの目に見える良いときも悪いときも」すべてが神の御手の中にあるということは、嘆きの中にあって、深いところで平安を見いだすことができます。私たは、その平安の中で与えられた時をあるがままに生きることができるのではないでしょうか。悲しみを無理に喜びに変えるでもなく、悲しみをなかったことにする訳でもなく、主の御手の中にあるという深い部分にある平安の中で嘆きの時を過ごしていきたいと思うのです。伝道者は、神を抜きにしてこの世界を見るなら、この人生はヘベルだといいます。けれど私たちが神を恐れ、神とともに生きるならば、私たちの人生から希望は消え去ることがありません。私たちはヘベルと思えるこの地も、神の前に誠実に生き続けたいと思います。私たちのいのちがある限り、神によって与えられた使命がそれぞれにあるのです。「よくやった、私の忠実な僕よ」そう言って主が私たちを抱き、御国に迎えてくださる日が待っています。今日も主の約束を見上げて歩んで参りましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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