2025年2月23日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「反逆」ヨハネ13:21-30
 ユダの裏切りは、全ての人をあわれむイエスにとって、こころが引き裂かれる出来事だったに違いない。ユダがイエスからパンを受け取ると、サタンが彼に入った。とヨハネは記している。ユダの裏切りには狡猾なサタンの働きが背後にあった。なぜ、ユダはサタンに支配を許すに至ったのだろうか。弟子たちの足を洗うとイエスは仰った。(ヨハネ13:16-17)―詳訳聖書―
「真実を最も真実にあなたたちに告げる、しもべは主人より偉くはない。またつかわされた者はつかわした人より上位ではない。この事がわかっているならば、それを行えば、あなたたちは幸い(うらやまれる者)である。」
私たちはイエスが自分の上位におられることを本当にわかっているのだろうか。人生の主権をイエスによって握られることを恐れ、逃げ回る者ではないだろうか。
それでも、最上位者であられるイエスは私たちより低い位置に立ち、頑なな私たちを待ち続ける。私たちの反発を受け、軽んじられても耐え忍び、人の魂が永遠のいのちを得るまであきらめない。人が神の栄光を現す者と変えられ、神の喜びをともに喜び、真の幸せをかみしめる者と変えられるまであきらめない。神の愛はしぶとく、あきらめることを知らない。
人が永遠のいのちを得るとき、天ではみ使いたちの大歓声がおこり、神の栄光が現される。神の子がイエスの教えに従って歩み、悲しみ、痛みに耐えるとき、彼らを苦しめる人々に神の栄光が現される。(マタイ5:9-16)
サタンは神の子たちがイエスに従い、神の栄光が現されることを全力で阻止しなければならない。
イエスの弟子、ペテロがイエスに「サタン」と呼ばれ退けられたことがある。(マタイ16:21-23)
イエスは万人の救いのために、そして神の栄光が現されるために苦しみを通らなければならないことを覚悟されていた。御自身を完全にお捨てになり、十字架の死によって従順を学ばれることは、イエスにとって厳しい戦いだった。その時、ペテロはイエスをわきにお連れして、十字架の死などおこらないとイエスをいさめ始めた。イエスは即座に「下がれ、サタン」とペテロを退けた。ペテロの背後にあるサタンの存在を見通された。「しもべはその主人より偉くはない。またつかわされた者はつかわした人より上位ではない。」イエスの弟子として選ばれ、いつもイエスとパンを分かち合って食したユダはイエスにかかとをあげた。メシヤの真理のおことばを聞いても、メシヤの証拠としての奇跡を見てもイエスの権威を認めなかった自分中心な心は、悲惨にもサタンに用いられ、イエスを裏切る者となった。もし、神が私たちに従うことを求めておられるのなら、どうか聖霊の神が私たちに従う力を与えてくださいますように。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:26)

カテゴリー: 礼拝メッセージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です