2025年1月26日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「洗足」ヨハネ1-20
神の御子イエスは世界が造られる以前から神とともにおられ、神としての栄光に輝いておられた。(コロサイ1:15.16)
イエスは全ての人を救うために神としての栄光を捨て、この世界に人の子としてお生まれになられた。
ご自分の弟子を選び、寝食をともにした。彼らに神のおこころを明らかにし、神のおこころを行うように教え育てた。しかし、イエスと弟子達は神に対する反逆者として宗教指導者たちからいのちを狙われるようになった。
イエスは神より与えられた使命を成し遂げ、神のもとに帰る日が間近に迫っていることを知り、この世に残していかなければならない弟子たちとともに、過ぎ越の食事をともにすることを願った。食事の席では誰が一番偉いかという議論が起こった。
弟子の一人、ユダはこのときすでにイエスを宗教指導者たちに引き渡す取引を済ませていた。裏切りの見返りとして銀貨30枚を受けとることになっていた。彼はイエスの弟子だったがイエスとこころを一つにせず、運命をイエスとともにする思いはなかった。イエスを売り、金を得て、宗教指導者たちに認められ自分を救うことの方が賢明と判断した。弟子たちが議論をしている様子をご覧になっていたイエスは食事の席を立つと、弟子たちの足を洗い、手ぬぐいで拭き始めた。(ヨハネ13:12-17)
ひざまづき弟子の足を洗うイエスのお姿からは弟子への愛が溢れ出ていた。互いに忍耐をもって愛し仕え合うことが、これから興されていく教会のいのちだと教えた。大牧者であられるイエスは、ユダの足をも除外することなく洗われた。ゲッセマネの園でイエスを見捨て逃げた弟子たちの足も、イエスの弟子ではないと三度否んだペテロの足も洗われた。イエスはこれから起こる弟子の裏切りをご存知だった。それでもイエスの弟子への愛が薄れることはなかった。神の誠実な愛に対して不誠実で応える人の弱さを覆い包む愛でイエスは私たちを愛された。神の深いあわれみのなかに留まり続け、思い上がることなく、互いに愛し仕え合うように弟子たちに、そして私たちに命じられた。
誰もが自分本位に歩むことを望む。(マタイ16:24-26)
しかしイエスは全ての弟子に、聞くだけの者にならず、行うことでイエスの愛に応えることを求められる。自分の無力さを痛感しながらもイエスにすがり、忍耐深く従うときに神はその人を祝福される。そして、イエスの弟子を通して聖霊はこの地上に神が支配される領域を拡大していかれる。(ヨハネ16:32-33)
イエスとともに神がおられたように、弟子とともに聖霊がおられる。イエスがサタンに完全な勝利をとられたように、弟子も圧倒的な勝利者となることを聖霊は教え、励ます。イエスの弟子である私たちは遣わされた場所でイエスに従って生き、神の支配が聖霊によってこの地の上に広がり続けるように祈り求めよう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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