2025年1月19日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「恥の壁」マルコ5:1~20
ペルーの首都リマに「恥の壁と呼ばれる富裕層と貧困層の居住を分かつ壁がある。ガリラヤ湖を舟で横切り、イエスは異邦の人々の住む村には入った。そこには豚を飼う民がいて、その数二千匹・・・神を持たない異邦の民は、おびただしい数の豚を所有する豊かな人々であった。だが、平和な豊かな村の中にも見捨てられた人がいた。「イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓から出て来て・・・この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。…彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分の体を傷つけていた。」(5:2-5)イエスが、この狂人のうちに住みついた汚れた霊に向かって「この人から出ていけ。」(5:8)と命じると「汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。」(5:13)村人たちは、この狂人の癒しのために犠牲になった、二千匹もの豚という高額な代価を惜しんだ。村人たちの計算によれば、一人の狂った男と、二千匹の豚とでは、釣り合う余地はなかった。九十九匹の良い羊を野原に残し、いなくなった悪しき一匹を探し求める羊飼いの姿は、あくまで聖画の中だけの話であって、村人たちにとっては絵空事でしかなかった。たとえ一人対一匹であったとしても、その一匹が自分の所有物である限り、それを失うことは一大事なのです。もともとこの村は、肥沃な土地であり、そこに住む村人たちは、神を持ってはいなかったが、物だけは多くを所有する豊かな人々であった。だが、その内面は、砂漠にもまして不毛の地、不毛の心であり、氷に閉ざされた人間の魂のツンドラであった。正気に返った彼は「お供をしたいとイエスに願った。」(5:18)神の恵みによって正気に返った男は、この村の平和が恐ろしかった。この男は、自分一人でこの村で生きてい行く自信がなかった。しこで「お供をしたいとイエスに願った。」(5:18)「しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。『あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか…を、知らせなさい。』」(5:19)この村で生きよ!とイエスは命じられる。イエスは彼の口に、彼がこの村で語り、家族のもとで知らせるべき福音のことばを授けられる。彼はこのゲラサの村で、本当に生きて行こうと思った。夕日に輝きわたるガリラヤ湖に立ちイエスを見送った彼は、それが初めてのように故郷の美しさを知った。イエスは村人たちが関わることのない恥の壁を破壊してゲラサの狂人と出会い人間性を回復し人間を取り戻すように導く。多くの豚を持つ壁の手前の富裕層。壁の向こう側ではゲラサの狂人が枷と鎖でつなぎとめられている。壁の手前と向こう側一体どちらが立ち入るべksからざる悲惨な領域なのか?
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る