基督聖協団目黒教会 馬上野々花神学生

「私たちは神の喜び」箴言8章 馬上野々花

箴言は知恵の書と呼ばれています。この8章では知恵が擬人化され、知恵自身が喋っています。今回特に箴言8章の中で注目したいのは、22-36節です。ここには、この世界の創造の出来事が記されています。この個所から分かることは「知恵は世界がつくられる前から神と共にあり、知恵は神の傍らで、神と共に世界を組み立てるものであった」ということです。そして知恵はこう語っています。「わたしは神の傍らで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しんでいた。主の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」神様と知恵は、私たちを喜びと楽しみをもって、そして非常によいものとして造られました。みなさんは、このことを聞いて何を思うでしょうか。「あなたの存在は素晴らしい」と言われて、それを受け取ることができるでしょうか。私たちは人と自分を比べずには生きていけない社会の中を生きています。私たちは「あなたはもっとこう変わらなきゃいけない」「そのままではダメだ」と言う言葉を善意であれ、悪意であれ、沢山聞いて来たと思います。ありのままの自分、弱い自分、本当の自分なんて愛されない。だから私はもっとがんばらなくてはいけない。もしくは、私はもう頑張れないから、私はダメな人間なんだと、ふさぎ込んでしまう。そんなことがあるのではないでしょうか。

私たちは御言葉を通して神様に愛され、尊ばれている存在であるということを心に覚え続けなくてはなりません。この箴言8章の知恵は、神と共にこの世界を、そして私たちを喜びと楽しみをもって創造しました。私たちはこの知恵からキリストを見いだすことができます。ヨハネの福音書1:1-3には、「神の言葉」としての「キリスト」、「先在の御子キキリスト」の姿が記されています。キリストは神の言葉となって、生きて働き、神と共にこの世界を創造されました。私たちはこの神の言葉であるキリストを通して、神の真理を知ることができます。イエス様の十字架は、私たちに対する神様の愛のしるしです。私たちは罪の中にあって、救われるに値しない存在であったのに主は私たちを救ってくださいました。それは、主は私たちの造り主であり、私たちの存在そのものを愛し、ご自分のものとして保とうとしてくださったからです。「知恵」は「子たちよ、今、わたしに聴き従え、訓戒を聞け、知恵を得よ」と強く勧めます。それは、私たちの幸いのため、「いのち」のためです。知恵から離れ、自分自身を痛めつけ、死の道を歩むことから守られるためです。神によって尊く造られ、愛されている存在であるということを忘れないためです。自分を否む気持ちでいっぱいになっている私たちに、今日も神様は愛をこう語っています。私たちは、この世の言葉でも、自分自身から湧いてくる内なる声でもなく、神の言葉、イエスキリストに留まり続けて参りたいと思います。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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