2024年12月29日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「神の国」マタイ25:31-46
神の国、それは神の支配を意味している。
この世界は神によって創造され、永遠に変わることのない神の統治の下にある。神の支配は地上にある目に見える国、人類、自然界、宇宙に留まらない。神の支配は人のこころの中にまで及ぶ。
(詩篇19:1-14)この地上における神の国、神の支配は聖書が明言しているところだ。旧約の時代に神は選民イスラエルの王となられ、神の民イスラエルを導き続けた。神の真実な愛に応えることが出来なかったイスラエルは滅ぼされた。しかし、神の真実は人の不真実を覆った。やがてイスラエルの不信仰が取り除かれ、イスラエルが霊的に復活し、神が統治される御国の民とされることが預言されている。そして、そのときにはイスラエルだけでなく、万人が神の子とされ、神の国の住人とされることも預言されている。(詩篇87:1-7)
バプテスマのヨハネも主イエスも叫んだ。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」神の国が近づいた。なんと希望に満ちたことばだろうか。それと同時になんと厳かなことばだろうか。イエスがこの世界に到来されて、最終的な神の国の実現は圧倒的に近くなった。イスラエル中の人々は神の国に入るために、バプテスマを受けにヨハネのもとへ来た。集まってきた群衆にヨハネは言った。「だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」(ルカ3:7-14)ヨハネは罪の赦しに導くバプテスマを人々に授け、正しいことを行い、悪から離れるように教えた。イエスはたとえを用いて警告を与える。(マタイ24:42-51)
人が神に義と認められるのは行いによるのではない。たとえどんなに正しく生きたとしても、イエスが十字架の上で私たちの身代わりとなって流された血によってでなければ人が神の御前に義と認められることはない。しかし、神は御自身が明らかにされた真実の愛に私たちが応答することを求めておられる。互いにへりくだり、忍耐の限りを尽くしてイエスが愛されたように愛し合うことを命じられた。十字架の赦しの恵みを放縦な生き方の理由としてはならない。人は神の御前で行ったことの報いを受ける。イエスは私たちに目を覚ましていなさい。と警告を与えられる。
私たちは神の御こころと一つにしていただくことを求め続け、探し続け、叩き続けて生きていくべきだ。(ヘブル12:14-24)
私たちを待っているのは、正しくさばかれる神。信仰を全うして天に帰った人々。私たちをとりなす主イエス。あわれみを語るイエスの血。私たちの真の家族が待っている。
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る