2024年12月15日 聖協団目黒教会 牧師横山さおり
「マリア」ルカ1:26-38
人々の目にとまることのない、ガリラヤのナザレという町に住む一人の乙女に神の選びの御手がのばされた。神から遣わされた御使いガブリエルはマリアに言う。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」「見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。」マリアの人生を一変させる神のご計画がガブリエルによって一方的に告げられた。マリアはこたえる。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばのとおり、この身になりますように。」マリアのこたえには「断る」という選択の余地がない。自分の意思を捨て、神の意思を優先させる完全な献身を表すこたえだった。この献身は神の深いあわれみに感謝し、日々神に信頼しメシヤの到来とイスラエルの救いを待ち望むマリアの信仰が土台にあったことを想わせる。(ルカ1:46_55)
しかし、メシヤの母マリアの歩みは、戸惑うことの連続だった。律法の慣習に従って、幼子イエスを主に献げるためにエルサレムの宮に行くと、預言者シメオンがイエスを抱き、預言することばを聞いた。(ルカ2:25-35)
幼子イエスは人々の反対にあい、マリアの心は剣で刺し貫かれることになるとシメオンは両親に告げた。
イエスがメシヤとしての働きを開始されると、精力的にメシヤとして奇跡を行い悪霊を追い出し人々を救った。
宗教指導者の過ちを彼らの面前で正した。
そのためイエスは気が触れたという噂が広がり親戚達がイエスを連れ戻そうとする事態にもなった。マリアがイエスを訪ねると、イエスはマリアを「女の方」と呼び、一線を画した態度を示す。イエスに対する権力者たちの勢いは増し、預言者シメオン のことばは成就した。イエスの十字架のそばにマリアは立っていた。我が子が苦しみもだえる姿から逃げることなくマリアはイエスのそばにいた。マリアの心は剣で刺し貫かれた。メシヤの母として召されることが、これほど激しい苦しみを伴うこととマリアは想像していただろうか。神はマリアの献身を尊く尊く御手に握りしめ、滅び行く人々に永遠のいのちを与える救いの御業を成し遂げられた。神が御自身のご計画を行われるとき、誰かの献身を必要とされる。神には成すことの大きさに関心はない。ただ小さいことに忠実であることを望まれる。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」
イエスを信じる者たちがこころを一つにして祈る輪のなかに母マリアの姿もあった。メシヤ主イエスの再び来られることを熱心に待ち望み、主イエスの御おしえを守り歩むマリアに、もう戸惑いはない。王の王、主の主であられるイエスへの賛美で心は燃えていたにちがいない。(使徒1:9-14)(ルカ1:32-33)

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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