2024年11月3日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「私は待っているのです」ヨハネ5:3~8
「人間は考える葦である」よく知られたパスカルの言葉である。パスカルは〝考える〟の部分に神への思いを強く託している。人間は風にそよぐか弱い葦にしかすぎないけれど (幸いなるかな神を思い信仰を抱き、神学を考えることが出来るから人間は偉大で強いということだ。逆に言えば神を失えばどうしようもないほど弱い存在なんだと言っているのだ
ベテスダと呼ばれる池があって、そこに大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せって(5:3)水の動くのを待っていた。(5:4)御使いが時々この池に降りてきて水をかき回すことがあって、水が動いた時、最初に池の中に飛び込む者はどんな病気でも癒されるとの〝虚しい希望〟にしがみついていた。この池は間欠泉で、地下水が地熱で温められ水蒸気として気化し、水が動くことがあった。彼らは待っていた。いつの時代も人間は(いつか何とかなるだろう)(そううちなんとかなるさ)とうそぶいて池のほろりで水が動くのをまっている。太宰治の短編に〝待つ〟がある。
小さな駅に私は毎日人を迎えに行きます私は誰かを待っているのです。私は毎日誰を待っているのでしょう。どんな人を…いいえ。私が待っているのは人間ではないかもしれない。こうして何かを待ちながら胸の中では不埒な計画がチロチロ燃えているような気もする私は誰を待っているのだろうか、はっきりしたかたちのものは何もない。誰かが笑って私に声をかけてきた。私が待っているのはあなたではない。それでは誰を待っているのだろうか恋人…違います。お金…まさか!駅の前をぞろぞろ人が通って行く。あれでもない。これでもない。私は一心に待っている。どうか私を忘れないで下さい。あなたはいつか私を見つけるでしょう私は胸を躍らせて、べテスダの池のほとりで待っているのです。そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。「人間は風にそよぐか弱い葦にしかすぎないけれど (幸いなるかな神を思い信仰を抱けるから人間は偉大で強いということだ。逆に言えば神を失えばどうしようもないほど弱い存在だ。
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る