2024年10月27日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「どっちに行く、じゃあ右の方へ」ローマ11:29
昔兄弟二人が志を立て故郷を棄てて都に向かった。途中行く道が二つに分かれ、「ここで別れよう」兄は左の道を歩んだ。その夜、弟は検非違使に拾われ、その手下となり、ひとかどの検非違使になった。「都の検非違使とは、今の京都府警本部長である。時移り星流れ都を襲う盗賊の親分を捕らえてみれば、「兄さん!」「それが左を歩んだ兄の運命だった兄は考えた。「あの瞬間が分岐点だったのだろう。ほかの道を選んでいたらどうだったのだろうか。素晴らしい人生。はるかに辛い人生。アブラハムと甥のロトはカナンに向かったていたが途中道が二つに分かれ「ここで別れよう」「おじさんはどっち?」「お前が選べ」東にはヨルダン川流域の緑の低地が広がっていた。西は赤茶けた岩ばかりの荒野だった。「じゃあ東の方を」「よかろう」東側は土地こそ豊潤だったが、その周辺には住む人たちは行いの正しい者たちではなかった。ソドムとゴモラの町…この名を聞けばきっと思い出すことがあるだろう。七つの大罪をことごとく犯し決して悔い改めることがなかった。アブラハムはキリストの血筋を背負っている。アブラハムがソドムとゴモラの住民と一緒に滅ぼされたならキリストはどのようにして来臨するのかアブラハムはある使命を担って、赤茶けた荒野に進んだのだ「どっちに行く、じゃあ右の方へ」選んだ道はただの偶然に見えるけれどその実…偶然ではなく大いなる必然であるケースが多い。私はそう信じる者である。シェイクスピアは「「どっちに行く?科学者になる偉大なチャンスに出会ってもそれとは知らずに見送ったに違いない。坂本竜馬も同時代に生きた三菱財閥の創始者岩崎弥太郎のよう実業家となるチャンスをそれとは知らずに見送ったに違いない。同じ土佐藩出身で深い結びつきもあったのだから。どっちに行く、じゃあ右の方へ」それぞれ歩んだ道は偶然の産物ではなく必然だったのかもしれない。自分の居場所にピタリと収まっただけなのかもしれない。シェイクスピアは劇作家として、坂本竜馬は薩長同盟の立役者としての使命を担って歴史上に現れたに違いない。神の賜物と召命とは変わることがありません。(ローマ11:29)
「どっちに行く?」あなたにだってもっと違った居場所に収まるチャンスに出会ってもそれとは知らずに見送って目黒教会員として収まったのだ。私だって、政治家になるチャンスに出会ってもそれとは知らずに見送ったかもしれない。私には伝道者として生きる使命があったのだろう。絶対にそうあらねばならないことはそうなるのである。奇妙な理屈だと思われるだろうがそれが絶対であればあるほど関係書(神・イエス・聖霊)はどういう手段を講じてでもそうあらしめようとする。栽培学の本に書いてあった定義だが、「雑草とは単に場違いの植物だそうだ。タチアオイはトウモロコシ畑じゃ雑草だが庭に咲いてりゃ花だ」

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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