2024年10月6日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「それぞれの信仰を神の御前に」ローマ14:14-23
神は、大きな痛みと犠牲を払われることを厭わないほどに、罪と悪に支配されたこの世を愛された。
人々を永遠の滅びから永遠のいのちへと、世を悪の支配から神の支配へと移すために御子イエスは十字架にすすんで行かれた。
神のおこころも、御子の御からだも、人の罪を負い引き裂かれた。
神によって贖われた教会に集う人々は、イエスが歩まれたように互いに愛し合い、仕え合う道を辿る使命を与えられている。(ヨハネ13:14-15)
イエスが何の功績もない私たちを愛してくださったように、私たちの隣人を愛し、私たちの頑ななこころが砕かれるのをイエスが何年も忍耐して信じて待ち続けてくださったように、隣人のうちに神の御業があらわされることを信じて待ち望む。
イエスとともに歩む信仰の道はそのような道だ。教会に集うイエスの僕たちが、さばき合い、傷つけ合う姿をパウロは戒める。イエスが血を流して買い戻し、忠実な僕になるようにと期待して育てている者を、他人がさばいてはならないと教える。神が信徒一人一人に授けた信仰のはかりは異なる。信徒の相違は争いに発展し、教会は分裂を繰り返してきた。教会には信徒同士や教職が一つになれない悲しい現実がある。初代教会と同じ問題が今の教会にも存在し、パウロの戒めが私たちに光をあてる。
パウロは野菜だけを食べること、肉を食べることなどの行為そのものを重視してはいない。
信仰の強い者が、信仰の弱い者を軽んじ、見下すことで信仰の弱い者をつまずかせることを戒めている。また、用いられている者を、そうでない者が妬みに燃えてさばいてはならないとパウロは教える。
さばき合う問題は、どこの教団でもどこの教会でもある問題だ。
天の御国に帰るまで人をさばく傲慢なこころとの戦いは続く。
「ユダヤ人の場合には彼らの悔い改めのない心、その偽善の態度によって主の御名が汚されたが、キリスト者の場合には、彼らが互いにさばき合い、苦しめ合うことによって、キリストの福音が汚される。」ワルケン·ホースト
教会がパウロの戒めに真剣に向き合わなければ、教職も信徒も聖霊による成長はない。
一人一人が与えられている信仰のはかりに応じて慎み深い考えを持つことができるように。私たちの主イエスが命じられる御教えは、互いに愛し、仕え合うことであることを聖霊が常に教えてくださるように。(ガラテヤ5:6)「キリスト·イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る