2024年9月29日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「ペテロの涙」マルコ14:71~72
するとすぐに、鶏が鳴いた。そこでペテロは、イエスのおことばを思い出し泣き出した。マルコ14:71~72)。愛の形は様々である。惜しみなく奪う愛もあれば、惜しみなく与える愛もある。「ペテロよ私を愛してるかな?」「もちろんです」あのお方はどのような愛を求め、ペテロはどのように愛そうととしたのだろうか。チェイホフの短編に「学生」がある。まだ冬の寒さが残る頃、神学生イワンが村に続く道を歩いていた。焚火の火が見えた。農家の老婆ワシリーサとその娘とが、火を囲んでいた。学生は話しかけた。「こんなふうに寒い晩ペテロも火に当たってたんだろうね。あの日も寒かったわけだワシリーサはいきなりしゃくりあげ大粒のとめどもない涙がその頬を伝わって流れた。娘の方は、学生の顔をじっと見つめながら重苦しい緊張したものになった。学生は思った。あのワシリーサがあんなふうに泣き出し娘があのようにどぎまぎしたところをみると、たった今、自分が話した二千年前の昔の出来事が現代のこの二人の親子に、そして多分この荒涼とした村に、私自身にすべての人に何らかの関りがあるのは明らかだった。過去は次から次へと流れだす事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている。私はたった今、その鎖の両端を見たのだ。一方の端に触れたらもう一方の端が揺らいだのだ。確かに歴史は事件の連鎖で、繋がっている。そういう絵柄を頭の中で描くことは出来るとしても、一端の事件に触れたらもう一端が揺らぐなんて実感できるものかどうか。以前交通事故で亡くなった青年の葬儀をしたことがある。息子を失った母は終始泣き崩れた。ミケランジェロは4つのピエタを彫刻に残している。「ピエタ」とは母マリヤがイエスの亡骸を抱いて悲しむ構図のことである。ようやく息子が帰って来た。でも遺体となって。彫像の真ん中にイエスが横たわっているが、感動の源は、息子を包むように抱いている母の悲しみである。葬儀の間、終始大粒の涙を流す目の前の光景が、二千年前のあの日の涙、ピエタとかかわりがあるのは明らかだった。あのお方は、いつの時代も私の人生に関わりを持ち続けようとするのだ。あなたはひとりぼっちではない。静かなくらい園、そのシーンとした中でようやく聞き取れるほどのペテロのすすり泣き。ワシリーサはいきなりしゃくりあげ大粒のとめどもない涙がその頬を伝わって流れた人間が流す涙はあの日の出来事とつながっているのだ。自分の弱さに涙したペテロの悲しさはどれほどのものだったろうか。私の歩みはキリストとともにあり、永遠につながっているのだ。
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る