2024年9月15日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「さばきの座」ローマ14:1~12
神は最初の人アダムを神に似せて造られた。
アダムとエバがサタンの惑わしに遭い、神に背き、罪ある者とされてからも人間アダムに対する神の愛が失われることはなかった。エバをそそのかしたヘビ(サタン)は、女の子孫によって頭を砕かれると定められ、神はエデンの園を追放される二人に獣の衣を着せた。
地上に人が増え始めると、人の悪も増大した。
神は悪に対するさばきを行われた。ノアとその家族、そして神によってつがいで集められた生き物は、箱船に入り神のさばきから守られた。
神は、御自身が創造したアダムの子孫に対する愛と、悪をさばかずにはいられない御自身の聖と義の御本質の間で御こころを痛められた。
神はアブラハムを選び、アブラハムの子孫を通して全ての国々が祝福を受けると契約をたてた。旧約聖書ではこのイスラエルを中心に神のご計画は進む。神の愛はイスラエルだけに注がれていたわけではない。旧約聖書には異邦人に対する神の愛とあわれみがあらわされている。
ヨナは神の命令を受けてニネベに行き、神のさばきが降りかかることを叫んだ。ニネベの都は現在でいうとイラクがある場所に位置する。ニネベの王と人々は神を信じ、皆断食をして粗布をまとい灰の上に座って悔い改めた。
アダムが罪ある者とされて以降、あわれみ深い神は人々が滅びに至ることなく再び神のものとして帰り来ることを求め続けておられる。
「冥府のキリスト」という聖画がある。十字架にかかり死んで葬られたイエスが黄泉にいる死者達に福音を宣べ伝えたという聖書のことばを絵画にしたものだ。(Ⅰペテロ3:18~20)
全てのアダムの子孫を救おうと、黄泉にまで力強い御手を差し伸べるイエスのお姿に、一人も滅ぼすまい。永遠のいのちを受けよ。という神の諦めない愛を見る。
教会はこの神の愛と熱心によって救われた人々の集まりだ。イエスの犠牲によって買い戻された神の子たちの集まりだ。パウロが心配したことは信徒同士が互いにさばきあい、神の教会が分裂してしまうことだ(ローマ14:4)。
教会に集う私たちの主は、命を捨ててまで私たちを買い戻してくださったイエス御自身だ。
パウロは信仰の弱いしもべを立たせて導くイエスの御力を信じている。人の人生に奇跡をもたらす神の御力を信じている。
私たちは神のさばきの座で、神にのみ正義と力があることを誉め讃える。神に申し開きをするときに、神の右の座には、私たちの主イエスがおられる。私たちが避けたくても避けることのできなかった心の傷も、逃れたくても逃れることができなかった境遇に耐え忍んだことも。イエスは全てを知っておられる。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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