2024年8月18日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「神の国」ローマ13:11~14
イエスを信じる者には「神の国」という不変の財産。永遠の資産を得る。
旧約の預言者たちは、メシヤであるイエスが多くの苦しみを経て万人の救いとなられ、やがて王として御国を治めることを御霊によって預言し、彼ら自身も預言の成就を待ち望んでいた。
ヘブル書の著者は、人としての弱さを抱えながらも、聖霊の助けを与えられながら神の国を待ち望みつつ地上で神に従い歩んだ信仰の勇者たちが、私たちを取り囲み励ましている。だから、私たちは彼らにならい自分の前に置かれている走るべき道を辛抱強く忍耐をもって走ろうと勧める。
パウロは、私たちに善を行う力はないこと、善を行うどころか悪に傾き、周りの人と自分自身を傷つけずにはいられない弱い者であることを明らかにする。キリスト者は、パウロに心から同意し、イエスの救いを必要とし、イエスを信じ、イエスの愛にすがった者だ。キリスト者はイエスの愛を知ったときから、戦いが始まる。
信仰の量りは一人一人異なる。隣の人と自分を比べる必要はない。遠藤周作氏の作品に、「最後の殉教者」という短編小説がある。舞台は長崎の浦上。主な登場人物は隠れキリシタンの青年三人。幼い頃から勇敢な青年、甚三郎、善之助。幼い頃から不器用で大変な臆病者の喜助。キリシタン迫害の嵐が浦上に押し寄せ、信仰を捨てない者たちに激しい拷問がくわえられた。臆病であった喜助は真っ先に信仰を捨てた。
甚三郎と善之助は激しい拷問に合っても信仰を捨てることはしなかった。
役人達は女、こどものキリシタンを連れだし、転ばないキリシタンの目の前で拷問を加えた。甚三郎の12歳の弟裕次郎は甚三郎が見ている前で、むごく執拗な拷問を加えられ命を落とした。これ以上の苦しみは耐えられないと甚三郎の信仰の灯が消えかけた時。一番最初に転んだ喜助が牢に押し込まれてきた。自分のどうにもならない弱さに思い悩む喜助は神の声を聞いた「みなと行くだけでよか。もう一ぺん責苦におうて、恐ろしかなら逃げ戻ってもいい、わたしを裏切ってもよかよ。だが、みなのあとを追って行くだけは行きんさい」信仰の量りは皆異なる。そのことを神は誰よりもご存知だ。
イエスは御自身を捨てて逃げた弟子たちを責めることはなかったのだ。
礼拝メッセージ
わが愛するもの
2026年1月18日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり「わが愛するもの もっと見る