2024年6月9日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「御思いと一つに」ローマ12:14~16
「思い上がってはならない。」思い上がりは相手をさばき、一致をこわす。神のいつくしみ、情けの深さにとどまり続けることは、キリスト者にとって重要なことだ。イエスは、王がしもべの借金を赦したたとえ話を用いて、人は、神から決して返すことのできない罪という負債を負っていることを伝えた。そして、神のあわれみのゆえにその負債をすべて免除していただいたのだから、自分に負債のある者を赦し、さばいてはならないと教えた。
すべてのキリスト者は、神のいつくしみのもとにひざまづかなければならない。神のいつくしみにとどまり、へりくだった心の状態は、思い上がりとは真逆の状態だ。人は常に排他的で、この排他的な思いによって教会は一致できない状態に悩まされる。イエスはタラントのたとえ話で、神が人に預けられる賜物はそれぞれ異なり、人は預けられたものを用いて神に忠実に仕える使命をもつと教えている。
キリスト者は信仰が強い人もあれば弱い人もある。人が神から多くの賜物を預けられ、人より多くの働きをするとしたら、それは神の栄光を表わすために神がその人に与えた一方的な恵みであって、人をさばくためのものではない。神の御ゆるしがなければ、目に見える祝福も、目に見えない霊的祝福も人は手に入れることはできない。神の御こころが許される範囲で私たちは生き、活動する。人が手にするもので、神から与えられなかったものは何もない。
ローマ12:14~16
これらの戒めは、神のいつくしみにとどまる、へりくだった心を持つ人だけが、理解する。
イエスは十字架の上でご自分を十字架にかけて、ののしるユダヤ人のためにとりなした。イエスは彼らがやがてイエスを証しする国々の光となるという神の希望の約束を知っていた。
パウロの人生は復活のイエスに出会い、迫害する者から迫害される者へと変えられた。神のいつくしみにとどまるパウロは、迫害する者の救いを祈り続けた。
福音は迫害を受けて世界に拡大していったが、神のいつくしみの中に留まり続ける者たちの涙の祈りがあったであろう。人が救われる以上の奇跡があるだろうか。
愛し合うことを命じるイエスは天にあげられる前に、弟子たちにお命じになられた。「父の約束を待ちなさい。聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」人の弱さなど神が誰よりもご存知だ。神は、聖霊の力によって神のみこころをうつし、み教えを行う者へと導かれる。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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