2018年4月8日
「告訴せず」  黙示録20:10
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
松本清張の作品に、選挙資金のいい加減さを描いた「告訴せず」がある。選挙戦も土壇場に入れば、何千万円もの札束が闇から闇へと動いていく。帳簿にも載らず、税金の対象にもならない。そんな事があってよいものか。しかし、作者の眼は、政治批判の方向よりも―わけのわからないお金であればこそ、それを横領されても公にできない―皮肉な想像へと傾く。
ヘブライ語の「サタン」は、「訴える者」「告訴する者」の意味だ。義人ヨブに対する在り方もそうだ。「訴える者よ。ヨブの信仰を見たか」。「成金おやじでしょう。あれだけ恵みがあれば、感謝して当然。与えたものをお奪いになれば、神を呪うでしょう」との訴えだ。霊験はすぐに現れた。一瞬のうちに、財産も子どもも失った。だがヨブは、神への敬愛を失わない。「やっぱりヨブの信仰は本物じゃったのう」「どういたしまして。子どもが死んだって自分のことじゃない。財産だって考えかたひとつでどうにかなる。ヨブ自身を病で打ってごらんなさいませ」。ヨブの病気が悪化し、苦痛が強まる。だがヨブは、神を呪わなかった。サタンは、ヨブを訴え、告訴しようとしたが、彼は神も認める真人間だった。
だが勘違いしてはいけない。私はヨブではない。優秀な弁護士を雇わなければなるまい。「もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには…弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです」(Ⅰヨハネ2:1)。ヨブのような真人間を弁護するわけではない。その労苦は大変なものだろう。やってしまったことも、やっていないかのように弁護し、告訴できないようにしてもらわねば、私に勝ち目はない。「あなたがたは罪によって…死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました」(コロサイ2:13~15)。「告訴せず」の最大の特徴は、告発する者サタンが企てたものと同じ企みが、サタンにも返って来る皮肉な構造である。「悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。…彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける」(黙示録20:10)。訴える者が捕虜となり、逆に訴えられ、刑の執行を待つ。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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