2024年3月31日 基督聖協団目黒教会 牧師 馬上真輝
「復活の日曜日」Ⅰコリント15:1~11
あなたにとって復活とはなんですか?あなたはなぜ復活を祝うのですか?コリント人への手紙15章は、キリストの復活について述べられています。救いのストーリーは、イエス様が身代わりになってくれた感動話で終わりません。イエス様は三日目巻物によみがえられました。それは、私たちが罪と死の支配から、神の支配へと移されるためです。また、私たちが終わりの日に新しい肉体を持って復活するためです。イエス様はそのために肉体をもって復活し、天に上げられました。そしてこれらのことは、人々の前で起こり、イエス様は弟子たちの前に現れました。それは、この福音が宣べ伝えられ、神様のもとから失われてしまった人々が救われるためでした。この知らせを今私たちは聞いているのです。そしてこの救いの御業は、パウロが述べている通りに、聖書に書いてある通りでした。キリストは聖書に書いてある通りに神のみこころに従い、私たちのためにいのちを捨ててくださったのです。そして死からよみがえってくださったことによって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。現代は人の存在価値が軽く感じてしまうような時代です。ネット環境の発展やSNSの広がりで、人々はかつてないほどに人との比較にさらされています。そのような環境の中で、多くの人が自分の存在価値を疑ってしまうような言葉を誰かからかけられ、またそのような言葉が当たり前のように飛び交っています。私たちは誰もが自分の存在価値を疑わざるを得ないような時代の中に生きているのです。そんな罪の悪循環を断ち切るためにキリストは十字架にかけられました。傷ついた者と同じように傷つき、その傷に寄り添うため。傷つける者が受けるべきさばきを代わりに背負うため。そのようにしてキリストは十字架にかかり、死に渡されました。文字通り、死んだのです。その死の期間は、地の底のようであり、キリストが「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」とは言わずにはいられないほどの孤独がありました。キリストは、想像を絶するほどの肉体の痛み苦しみと、想像を絶するほどの死の恐怖を経験されたのです。そして、これらの苦難を通られたキリストは、ついに復活されました。その復活は、自分の価値を貶められ自分のいのちを軽んじるようにしか生きられない者に、あなたは価値ある存在だという希望の光を照らし、価値ある存在として生きることを後押しします。その復活は、これまでの自分の過ちに気づかせ、温かな眼差しで赦しを与え、神へと方向転換して生きることを後押しします。キリストの復活は、罪と死への勝利であり、それによって、私たちに神の復活の力が今も生きておられるキリストを通して働きます。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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