2018年4月1日
「主の救いを見なさい」 出エジプト14:13~14
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
三十数年前、ビリー・グラハム著、「天使」を読んだ。細かい部分は忘れたが、概ね次のような話が記されていた。私は大いに興奮した。
宣教師ジョン・ぺートンが、未開のジャングルで、インデアンたちに福音を伝えようとしていた。ある夜、敵意を抱いたインデアンたちが、ぺートンの宣教基地を取り囲む。建物に火を放ち、出て来たぺートンとその妻を惨殺しようとの魂胆である。こんなとき、あの手、この手を使って、どうにかなるものではない。彼らはその夜、一睡もせず、祈りつつ神の救いを待った。長い夜が明けると、インデアンたちの姿はなかった。ぺートンとその妻は、神の救いを感謝した。それから、星は流れ、時は移り、インデアンの酋長がイエスを信じて救われた。ぺートンは、過ぎし日を思い「なぜ、あの夜、私たちを殺さなかったのか?」と尋ねた。すると、酋長は「あの夜、あなたと一緒にいた人たちは誰か?」と、驚き怪しんだ。酋長の証言によれば、輝く衣をまとった幾百の巨人たちが、抜身の剣を抜いて立っていたと言う。ぺートンは、あの夜、神が天のみ使いを送り、守ってくれたことを知ったと言う。
「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。(出エジプト14:13)。
御国にも、自衛隊みたいな組織があるのだろうか。ゲッセマネの園で、イエスの心が揺れ動く。「それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう」(マタイ26:53~54)。イエスの命令ひとつで、天の軍勢が動く。あのときぺートンのもとへ、み使いを派遣したのはイエスだったのだろうか。「もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い」(マタイ27:40)。イエスは、自分を救おうと思えば、簡単に救えた。ぺートンとその妻は救われたが、イエスの場合、救われてはならない事情がある。自分が救われれば、人間が救われない。どうしたものか…。「十二軍団」とは、七万二千のみ使いの大軍だ。イエスは、天の軍勢の要請を思いとどまった。十字架にかかって死なれたのである。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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