2023年12月24日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「ヨセフの正しさ」マタイ1:18~25
「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。」(マタイ1:18~19)。マタイはヨセフを「正しい人」と紹介する。「正しさ」についてイエスとパリサイ人との間には対立があった。あるときパリサイ人たちは、一人の姦淫の女をイエスの前に引き出した。イエスは女性の罪を訴える彼らに言った。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」彼らはその場を去り、イエスと女性だけが残された。イエスは「わたしもあなたにさばきを下さない。これからは、決して罪を犯してはなりません。」と彼女の罪を赦された。神の憐れみ深さは、旧約聖書のうちにイスラエルを通して現されている。詩篇の作者は、イスラエルに現された神の憐れみ深さを誉め讃える。「彼らの心は神に堅く立たず 神の契約に忠実ではなかった。しかし、神は憐み深く 彼らの咎を赦して 滅ぼされなかった。怒りを何度も抑えて 憤りのすべてをかき立てられることはなかった。」(詩篇78:37~39)。イスラエルほど、その歴史を通して神の正しさ、厳しさ、憐れみ深さを体験した民はいない。ダビデは神の正しさを誉め讃え、同時に神の守りを求めた。「誰が自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか 隠れた罪から私を解き放って下さい。あなたのしもべを 傲慢から守って下さい。それらが私を支配しないようにして下さい。そのとき私は大きな背きから解き放たれて 全き者となるでしょう。私の口の言葉と私の心の思いとが 御前に受け入れられますように。主よ わが岩 贖い主よ。」(詩篇19:7~14)。人が得られる正しさは自分の醜さを認め、神の憐れみにすがることによってのみ得られる正しさだけだ。ヨセフは正しい人だった。神は、ヨセフに幼子イエスとマリアを守る使命を与えた。ヨセフにはこの世的に誇れる富も、地位も、強さもなかった。しかし、神の御前にひざまずき、神にすがり祈るヨセフこそ神の使命を負うべき人だった。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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