2023年12月17日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
「愛のまたたき」詩篇103章1-5節
クリスマスの飾りが街中にきらめいています。しかしいくら町がキラキラしていても満たされていかないこころがあります。神はその満たされない心のためにイエス様を地上に人間として遣わされました。マリアの胎に赤ちゃんとして聖霊によって宿されたイエス様はやがて十字架につかれます。罪を一つも犯さないで無惨に殺されなくてはならなかったのは、私たちの内に働く罪が美しい心を否定するからです。
欲望を満たすことを考え、自分だけいい目を見ることを求め、自分が満たされればそれでいいことにしてしまいます。自分が幸せならいい、迷惑かけてないからいい。あるいは誰かのことを考える余裕などは失っているのです。虐待や暴力を犯してしまっても自覚もなく、そんなに悪いことをしてしまったのか、もう慣れてしまっていて気付かなかった、というところまで陥っているのです。
神の愛と安らぎを受けるとき、私たちは聖い霊に触れ、自分の悪がどれほどのものだったか知ることになります。そして、自分の害悪が相手にどれほどの傷を付けていたのかを悟ります。その目をイエス様の犠牲を仰ぎ見るとき、この罪の結果は死に直結しているのを意識し始めます。立ち止まり考える必要があります。そのような罪を犯すどうしようもない私をも愛してくださる方がいらっしゃることを。
愛されることなんか当然で愛したいなら愛したらいい。自分の罪は止まらない。その愛と自分の罪は無関係だと考えてしまう人もいます。しかしそのような人こそが愛とあわれみを必要としています。あたたかく、ほっとするような愛の中、ゆっくり方向転換すべきなのです。そうしないといつまでも満たされることなく、誰かを傷つけることになります。
造り主はそのようにあなたの人生を設計してはいません。愛を受け入れず、愛を与えることのできない人の魂は枯渇していると言えます。神に目を向け、罪を示され、イエス様の十字架の犠牲に自分の罪のどうしようもなさを共に見るとき、十字架の死は自分の罪のためだったことを知ります。三日目の復活は新たな人生の起点となり、犯した過ちは全て剥がれ落ち、まるでいま人生が始まったかのようになります。
イエス様をあなたの人生にお迎えしませんか。クリスマスはそのイエス様の誕生を祝うときです。息苦しい人生とはもうお別れして、あなたの一生を良いもので満たそうと仰られる神様にゆだねようではありませんか。新たないのちは鷲のように力強く羽ばたくのを待っています。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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