2018年3月25日
「傍(わき)役」 ルカ8:3
基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
芝居には、傍役がいる。主役の引き立て役である。
バプテスマのヨハネは、イエスの引き立て役だった。「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)。
眠れぬ夜、(私は、イエスの良き傍役だったろうか?)と考える。(まるで、主役づらで振舞っていなかっただろうか)と反省する。
イエス処刑後、イエスの屍に香油を塗るため墓へ向かったのは、イエスを慕っていた女たちだった。その途中、マグダラのマリヤは、復活のイエスに出会っている。復活の目撃者ということなら、マグダラのマリヤの役割はことさらに重要だ。七つの悪霊に取り憑かれていた女は、イエスと出会い、悲惨な人生から解放された。その時、彼女の内に与えられたものは、悪霊に代わる何かではなく、イエス・キリストそのものだった。
復活のイエスに最初に出会った人物について、聖書の記述は必ずしも一致しない。パウロが記す順番に従えば、「また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。…その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。そして、最後に、…私にも、現れてくださいました」(Ⅰコリント15:4~8)。パウロが記す順番に従えば、ペテロ(ケパ)が最初の目撃者になっていて、イエスを慕った女たちは全く影を潜めている。
初代教会の使徒職の資格は、復活の証人であり、宣教も復活の事実の告知であった。復活の主に出会った最初の人物。それは教団にとって大きな意味を持っていただろう。主役はペテロとする組織的な事情があったのかもしれない。マグダラのマリヤは、主役の座を奪われ、自らは舞台裏へと消えて行く。マグダラのマリヤは、確かに復活の最初の目撃者であった。人々の注目は、主役を演じる表舞台に集まるだろう。やがて、舞台裏も、傍役も忘れ去られる。それでいい…。歴史の表舞台に名を連ねる。そんなことは、あのイエスとの深い出会いに比べれば、あまりに小さく、些細なことに過ぎなかった。
福音宣教の主役、表舞台は、ここから激しく音をたて回転を始めた。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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