2023年12月3日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「神の慈愛にとどまる」ローマ11:25~27
人が神の光に照らされて罪を認め、悔い改め十字架の恵みが自分のためであることを知ることは人間の努力や知恵で行われるものではない。神の主権のもと恵みによって与えられる。神の恵みを受けた者は、人をさばく高慢の罪から守られるように祈らなければならない。自分の惨めな姿を知り、神にすがる心の貧しい者は幸いだ。神はその人の心に住み、御心を行わせて下さる。教会は敷居が低い場所であるべきだ。まず自分の心の敷居を低くし、弱さを抱える人々の間に座り、ともに食事をし、交わりをもたれたイエスの生き方を見つめな直したい。「兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために…」パウロが手紙を書いたローマ教会には、ユダヤ人信徒と異邦人信徒が共に礼拝していた。パウロは、異邦人信徒が自分の知恵の深さによって救いを得たかのように誇り、ユダヤ人を裁くことのないように神の慈しみの中に留まるように教える。パウロは、奥義を告げる。「頑なにイエスを拒む一部のイスラエル人の不信仰は、異邦人の満ちる時までである」と。イエスはを弟子たちに教えた。「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、全ての民族に証しされ、それから終わりがきます。」(マタイ24:14)世界中に福音が届けられ、救われる人が満ちる時、イスラエルが神の民として霊的に回復し、神の喜びの冠となる。「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く…残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。」(ゼカリヤ12:10、14)。
イスラエル民族の内に悔い改めの恵みが注がれ、霊的な覆いが取り除かれるときがくる。
「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために沈黙はしない。その義が明るく光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは」(イザヤ62:1~3)。神がイスラエルと結ばれた契約は今も生きている。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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