2023年11月12日基督聖協団目黒教会 神学生 横山野々花
「イエス様の切なる祈りに応えて」ヨハネ17:15
「わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです」。これは十字架にかかる前、この世に残される愛する弟子たちを想って神にとりなした祈りの言葉です。イエス様が願ったのは「弟子たちが悪い者から守られながらこの世で生き続けること」でした。イエス様が、彼らの生きる場所として願った「この世」とは、サタンの支配下にある領域を指します。「サタン」とは、神に敵対する存在で神のご計画を破壊しようと誘惑し、「神の言葉を選ぶのか、それとも、この世の言葉を選ぶのか」と、信仰の戦いを挑んできます。私の証しをさせて下さい。幼稚園生の私は優しく愛に満ちたイエス様に愛されてる確信がありました。しかし小中高と人と自分を比べずには生きられない環境に置かれる中で「ありのままのあなたを愛している」という神様の声は徐々に小さくなりました。それからというもの「ありのままのあなたは愛される価値がない」という世の言葉が私の真理でした。私は自分の努力で自分の存在を肯定しようと必死でした。しかし自分ではない他の誰かに成り代わって自分の人生を生きようとしていた私には、生きる喜びがありませんでした。そんな「この世」の声に苦しむ私の人生を救ったのは、神様の声でした。「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」「私の目にあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」「神はお造りになった全てのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」これらの御言葉は、御霊によって私の心を溶かし、癒しました。そしてこれまで神様の言葉を拒否し、この世の言葉を真理として生きて来た自らの歩みを悔い改めました。私の人生は神によって新しくされました。神の御手で良いものとして創造された私たちの存在を虚しい言葉で否定し、神への背きの罪を責め続けてくるサタンの声から私たちは、キリストの十字架の血潮によって解放されました。神の子として生きる自由が与えられました。私たちは世にあって痛み、苦しみますがキリストにあってそれすらも希望の告白へと変えられていきます。 主は私たちが福音を携えて世に出ていくことを願っておられます。私たちは、今日もこのイエス様の切なる祈りに応答し、闇に輝く世の光として、この身をお献げしたいと願います。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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