2023年10月8日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「地位転落の恐ろしさ」創世記28:13~15
ちょっとした事件が起こる。弟のヤコブは家で赤い豆を茹でていた。兄のエサウが狩りから帰って来て、「俺にもくれ」「あげてもいいけど、そのかわり長子の相続権をボクに譲ってよ」。この台詞が言える男は優しい人ではあるまい。ヤコブには、アブラハムの血が流れ、華麗で優秀で、イスラエルの約束を一途に担った存在として描かれている。でも実は、相当にしたたかな男ではなかったか。きっとそうだ。書いてない行間からそんな性格が見えてくる。叔父ラバンの家畜の世話に乗じて、自分の財産を大きくしていくところにもそれが垣間見える。隣人としては嫌なタイプである。兄エサウは弟ヤコブを殺そうとする。我々の日常に潜む危機。いつそういうものが誰の身にも起こるかわからない。異常性格者でない限りむやみに人を殺すことはない。人を殺すにはそれだけの理由がある。今の地位にしがみつきたい執念。ここに人間の弱さがある。地位転落の恐ろしさはどうしようもないほど辛いことだろうか。男の面目は潰れるかもしれないがそれほどマイナスに考えるべきことではない。見下されることはあっても、それなりの人生は作れるだろう。地位にこだわることこそよほどのマイナスである。失った地位を取り戻したい。殺意にまで深まるこの情熱を描くことで、こうした人たちの生きがいは何なのかと考える。一族の故郷ハランの叔父ラバンには二人の娘があった。少年ヤコブは妹ラケルが好きになり、天使のように美しく思い、憧れ、愛を抱いた。恐らく妹ラケルは、姉レアのヤコブに対する愛に気付いただろうが、それを言わなかった。自分に対して純粋な思いを抱いた少年のいたいけな感情に対して報いたのかもしれない。だが少年は騙され、レアと結婚させられる。読んで残るものは辛さより哀れさである。エサウを騙し、地位にしがみつく執念を見せたヤコブがラバンに騙される。地位にしがみつく命がけの冒険。私のような一介の庶民だってこんなバカなことをやってみたくなる。だがあの日、神はヤコブに約束した。「あなたがどこへ行ってもあなたを守り、あなたを捨てない」(創世記28:13~15)。やはり人間はこの約束を思うべきだろう。人間は己の志に対し、忠実に生きねばなるまい。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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