2023年9月24日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
「大祭司の愛」 ヘブル人への手紙5章1−10節
アブラハムの旅はいよいよ佳境に入ってきました。イサクをささげ、サラは亡くなり、約束の地で約束の民が増え広がっていきます。なぜアブラハムは選ばれたのでしょうか。それは神のみことばを実行する力があったから、というより神の呼びかけに応えたから、と言うことが出来ます。
世界中にあなたのことを愛しているよ、と神様が呼びかけると、たったひとりの応える声が聞こえました。アブラハムです。その応答の歩みは神の計画とそのまま一致していきました。イスラエルの民族的祝福、またあの土地での繁栄はアブラハムの応答と行動があってこそでした。
ひとりの代表の切り開いた道は後に続く者たちの励ましとなります。大祭司も人々の中から神様が一人選びました。選ばれたのは神の言われたことをそのまま行動する人だからです。才能や能力が特別にあるわけではなく、弱さや罪を持っていて、それを自覚する人でした。致命的な失敗をしたとしても、取り返しのつかないことをしてしまった、もう駄目だ、と思ったとしても、話しやすい相手として、側に来てくれる人です。
犯罪には被害者がいて、払うべき代償には基準が設けられています。しかし表沙汰にならない罪を測ることは難しく、憎む心、妬む気持ち、まだ誰にも話していない、行動に移していないものも罪と定められます。告白がなければ誰にも知られません。その思いを内側に抱え、人は神を離れ、侮り、蔑み始めることさえ出来ます。罪の自覚と告白は、神からどれくらい離れていて、そんな自分のことを神がどれほど悲しんでおられるかを知る目安となります。
イエス様の犠牲の大きさからもその悲しみを知ることができます。へりくだるお方であり、罪は犯していませんが罰を全て受けました。神に愛され働きをすべく召されたお方は、その働きを完全にするために涙と叫びをもって祈り求めているのです。ですから大祭司として全ての人の罪の贖いとなることができました。この偉大なささげものによって、私たちは罪の無い者として扱われ、神に大胆に近づくことが出来るようにされました。
ですからイエス様以前とイエス様以後は完全に違うものとして歴史に刻まれています。私たちに友達のように寄り添い、近い関係を保ち、悩み苦しみ聞き入れると、父のような支える力を持って対処してくださる。私たちは大祭司の愛に包まれ、抱かれているのです。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です