2023年8月20日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「残りの者」ローマ11:5~10
「今この時にも、恵みの選びによって残された者たちがいます。」パウロ自身も『残りのもの』として恵みによって選ばれたことを自覚する。パウロは、イエスを憎み、信徒を迫害した。そして、信徒を一掃することは、神に奉仕していることだと信じて疑わなかった。イザヤが預言したように、鈍い心と見ない目、聞かない耳をもつ悟ることのない頑なな人だった。そのようなパウロを、神は選ばれた。信徒を迫害するために意気込んで進んでいた道中、パウロはイエスの声を聞く。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」サウロは三日の間目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。三日の間、パウロは自分の身に起きたことを考えただろう。そして、イエスこそ人を罪から救う、メシヤであることを悟った。パウロの中で、律法による義はうち砕かれた。神を知ること、悔い改めること、霊的に新しく生まれ変わることは神の恵みの業であることをパウロは知った。人の心の中には、律法を行うことで義を得ようとするように、神により頼むより自分の力や知恵で、罪や咎を解決としようとする思いが根付いているように思う。しかし、いま、私たちが神の愛を知ることができているのは、神の恵みによる。高ぶることのないように、人をさばくものとなることがないようにと教えられる。(詩篇69:22~28)「彼らの前の食卓は罠となり 栄えるときに 落とし穴となりますように。彼らの目がくらくなり 見えなくなりますように。 その腰がいつもよろけますように。あなたの憤りを 彼らの上に注いでください。 燃える怒りを 彼らに追いつかせてください。・・彼らは あなたが打たれた者を迫害し あなたに刺し貫かれた者の痛みを言いふらします。どうか 彼らの咎に咎を加え 彼らをあなたの義のうちに入れないでください。…」「頑ななもの」は神のおこころを知らない。神はきよく、義なるお方。そしてあわれみ深いお方だ。そのあわれみは海より深い。イスラエルがユダ王国とイスラエル王国に分かれていたとき、ユダ王国が神の忌み嫌うあらゆることを行ったので、神はユダをアラムの王と、同胞イスラエルの手に渡された。イスラエルは同胞であるユダを激しく討ち、女、男女のこどもたち20万人を捕虜とし、多くのものを略奪した。神は預言者オデデを遣わしイスラエルに告げた。Ⅱ歴代28:9~11「見よ。あなたがたの父祖の神、主がユダに対して憤られたため、主はあなたがたの手に彼らを渡された。ところが、あなたがたは天に届くほどの激しい怒りをもって彼らを殺した。今、あなたがたはユダとエルサレムの人々を従わせて、自分たちの男女の奴隷にしようとしている。ただ、あなたがた自身も、あなたがたの神に主に対して罪過があるのではないか。今,私に聞きなさい。あなたがたの同胞の中から捕らえた捕虜を帰しなさい。主の燃える怒りがあなたがたに臨んでいるからだ。」神のみまえに罪過のない者はない。人の目の中にチリを見つけ、取ろうとするものに対して、自分の目の中にある梁には気づかないのか。という人をさばくことを戒めるイエスの教えを思いおこす。パウロは「頑ななもの」のためにとりなし祈る。神の約束を信じて疑わず、彼らの霊的祝福のために祈る。イエスが十字架の上で御自身を十字架につけた者たちのためにとりなし祈られたように。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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