2023年6月18日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「のばされる神の御手」ローマ10:18~21
福音はイスラエルから始まり、世界に届けられた。
しかし、全てのイスラエルが福音を受け入れたわけではなかった。
イエスの弟子たちが、会堂で福音を語り、イエスに関する預言を聖書から教えると、大勢のイスラエルが福音を信じた。ユダヤ教に改宗した外国人や、ギリシャ人も大勢福音を受け入れ、その中には有力者も多くあった。それを見た頑ななイスラエルは、妬みに駆られて、弟子たちを追い回して迫害し、福音を妨げた。イエスは彼らの頑なな心を責められた。また、自分の名誉と利益に貪欲で、自分の地位と豊かな生活を守るためには民を利用する悪をさばかれた。彼らは民を光に導く立場でありながら、その職務を担わなかった。彼らの思いは、地上での生活のことだけだった。イエスがメシアである証拠としての奇跡を行っても、頑ななこころには奇跡がまるで見えていなかった。そのような指導者のもとで、霊的に飢え乾き、重荷を負わされた民は、イエスの福音に光を得た。しかし、頑ななイスラエルは、福音を信じる者たちを消す情熱に燃えた。イエスは、御自身を迫害する者たちについて語られた。(ヨハネ16:2~3)「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。実際、あなたがたを殺す者がみな、自分は神に奉仕していると思う時が来ます。彼らがそういうことを行うのは、父もわたしも知らないからです。」頑ななイスラエルは、真の意味で神を知らなかった。自らの罪深さも、神の愛もあわれみも知らなかった。ところが神は異邦人の心の貧しい者に福音を通して御自身を現わされた。神のあわれみを知った異邦人は、神を喜び、誉め讃えた。
「妬み」はサタンに用いられる隙を与える感情の一つだ。最初の人。アダムとエバのこどもであるカインとアベルの兄弟は、妬みによって兄弟関係が破壊された。エジプトを出て、モーセを先頭に荒野を旅する途中、レビの子コラは250人もの族長や、名のある者たちを扇動して指導者モーセを引き下ろそうとした。サウルは自分の代わりに神から選ばれたダビデを妬み、いのちを付け狙った。悪王たちは、神の言葉を告げる預言者を殺し、祭司たちはイエスを十字架に架けて殺した。妬みの害毒は社会、教団、教会、骨肉の人間関係を破壊する。妬みは野放しにせず、こころが傲慢に支配されないように、大罪から守ってくださいとダビデのように神に祈り求める必要がある。
カインは、アベルを殺した後も神に対して開き直りともいうような横柄な態度をとっているが、罰を恐れるカインに神は一つのしるしを与え、彼が殺されることのないように守られた。神は、義人アベルを殺したカインに対してもあわれみの御手を伸ばされた。(ローマ10:21)「そして、イスラエルのことをこう言っています。『わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。』神の御手は、神を知らない頑なな神の民に対して差し伸べられている。
イエスは十字架の上で神を知らない頑ななイスラエルのために、神を知らない万人のために祈られた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」神のあわれみの深さは計ることができない。全ての人が神に立ち返り福音によって救われることが神の願いだ。イエスのとりなしの祈りを神はきかれないだろうか。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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