2023年6月11日 聖協団目黒教会牧師 都丸道宣
「そのパンをいつも……ください。」ヨハネの福音書6章32−40節
パンと魚を奇蹟によって満腹になった五千人以上の人々は、イエス様についてきます。イエス様は彼らに食べ物で満たされたからついてきたのだと指摘します。彼らはそうではない、あなたを信じるためには何を見せてくれるのか、とイエス様ににじり寄ります。積極的な彼らにイエス様は答えます。わたしはいのちのパンです。天から下ってきたのです、と。しかし、彼らの反応は薄い。さらにイエス様は、モーセが砂漠でパンをもたらしたが、あれは神ご自身がもたらしたのであって、いま目の前にいるわたしも天から神により下ろされたのだ。と、核心をつきます。神とのつながり、イエス様とのつながりはそこです。それが彼らがついてきた理由であるにも関わらず、相変わらずふわっとした空気です。
イエス様は私たちと直接的な関係を求めています。ふわっ、ではなくがっぷりです。リモートではなく、直接的にです。モーセはそうでした。顔と顔を合わせて神と親しく語り合いました。しかし、今集まっている民衆は目の前にイエス様を見ながらもそうはなりません。モーセ経由の神との関係もほどほどにしかならないのです。そんな彼らにイエス様は、あなた方はわたしを見たのに信じません、と痛烈に言われました。わたしのもとに来れば決して飢えない、わたしを信じるなら決して渇くことはない、と言われても信じるに至らないのです。
心がリモートなのです。リモートの対話というのはパソコンやスマホの画面を通して行います。直接会うのとは脳の血流が違う、と専門家は言います。直接会って話し、感情が動くとき、前頭葉の血流の上昇下降が相手と同期する、という現象が起こるのだそうです。リモートの対話には同期は起こらず、何もしていないときと血の流れは変わらないのだそうです。好きなDVDを観ている赤ちゃんの脳も、集中しているようで、何もしてないときと変わらない働きだと言います。
テレビ画面を見るようにイエス様と会ってはいないでしょうか。感動も心の交流の少ない、祈りやみことばの時間をもっていないでしょうか。
イエス様は直接的に私たちと関わりたいと思っています。いまリアルタイムにあなたの声を聞き、あなたの願いを聴き、それに応え、感情を、感動を分かち合いたいと思っておられます。悲しみも喜びの声も、訴えも怒りの叫びも、幸せな安堵のため息さえ、つぶやきや息遣いまでもイエス様と分かち合わせていただき、もっと信頼し合って、一歩一歩進ませていただきましょう。それこそいのちのパンをいただき、イエス様と共に生きることなのです。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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