2023年5月28日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「喜びの知らせ」ローマ10:14~17
父なる神が、御自身に似せて創造された尊い人間を滅びから取り戻すためにご計画された救い。父なる神と、御子イエスのおこころは引き裂かれ、尊い犠牲がはらわれて実現された救い。この素晴らしい良い知らせ「福音」は、全世界に宣べ伝えられなければならない。神が与えてくださった良い知らせをまず始めに聞き、世に宣べ伝えたのは、イスラエルの民だ。彼らの一部は頑なに福音に反対したが、イエスの福音が、預言者たちを通して語られた預言の成就であることを知ったイスラエルの民によって、福音は、異邦人に、そして世界に届けられた。弟子たちに、人を救う力はない。しかし、福音そのものに大きな力がある。(Ⅰコリント1:18)「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」
福音は、私たちの心に働きかける神の力だ。イエスの十字架によって現わされた神が与える救いは、人間が、哲学や努力によって救われることがないための、神の知恵だと述べる。(Ⅰコリント1:18~25)福音を信じることは、自分にとってイエスの救いが必要であることを認め、同時に自分が罪人で、人と自分を傷つけずにはいられない弱い存在であることを認めることだ。福音の種は、種をはじき飛ばす道のような固いこころの上では育たず、柔らかな土のようなこころの中で芽を出し、育ち、実を結ぶ。また、神は、御前にひざまずき、自分をこころの貧しい者と知る、小さく弱い者に福音を委ねられる。(Ⅰコリント1:26~31)この世での勝者は、富や地位や幸せな家庭を手にした人と言える。しかし、それらの物を得たとしても、罪に支配され、人と自分を傷つける日々を過ごし、生きている意味を見いだせないのなら、虚しさは消えない。真の永遠のいのちに至る真の勝者は、自分の弱さと醜さを憂いて神の御前にひざまずき、創造者である父なる神のもとに帰り、イエスの十字架の救いにすがる者だ。神は、そのように自分を低くする者が、救いを見いだし、福音に仕えるように導く。教会はイエスを頭として形成される体だとパウロは伝える。体に指令を送る頭がイエスであれば、体を形成する信徒一人一人は、イエスの教えと価値観に支配されなければならない。教会では、イエスの真理がしっかり受け止められ、教えられる必要がある。そのような教会では、神を誉め讃える賛美が溢れ、神の栄光が現わされると信じる。神の教え、価値観は福音の中に凝縮されている。この福音に仕える人、良い知らせを伝える人の働きによって神の救いの御業は進む。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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