2023年5月14日 聖協団目黒教会牧師 都丸道宣
「そこで永遠の神、主の名を呼び求めた」創世記21章22-34節
王様アビメレクと軍の長ピコルがアブラハムのもとを訪れます。神がアブラハムと共におられることに深い関心を抱いています。かつて、サラを召し抱えようとしたときにひどい目に遭ったアビメレクたちでしたが、神は罰を与えるだけのお方ではなく、恵みをくださり、永遠に約束を守るお方であることを感じずにはいられなかったのです。子孫に至るまで、誠意を重んじた交流をしていきましょう、とアビメレク。では、そのように誓います、と応じるアブラハム。しかし、気になることが一つ。アブラハムが掘った井戸がアビメレクのしもべに奪い取られていたのです。それを誠意で対応してほしい。それは聞いたこともなかった、とアビメレクは素直に対応を急ぎます。
信頼し合う関係とはこうではないでしょうか。何でも言い合える関係。ストレスのないやり取り。問題解決に素早く協力する気軽さ。礼儀や体裁でまどろっこしい手続きを踏まないと、解決まで辿り着かない問題は現代社会に多くあります。ここまできっぱりとした解決を見たのはアブラハムの知恵と寄留者としての経験によるものなのでしょう。さらに雌の子羊を七(シェバ)匹用意して、七と誓い(シャバ)というのは発音が似ていますな、とダジャレのように響かせて井戸の所有権は誰にあるか念押しします。買い戻しの権利がある者は買い戻すために金を支払います。寄留者としては、王があげようと言っても、国民にいつ何を言われてもおかしくありません。ダジャレも飛び出し、和やかムードのなか、井戸の権利を獲得しました。
アビメレクとピコルは気持ちよく去っていきます。アブラハムは安住の記念として植樹を行います。これまでの寄留生活を振り返ったでしょうか、ここにしばらく住める安心を神に感謝し報告します。その場所で永遠の神、主の御名を呼び求めます。どこにいても、何をしていても、罪を重ねる中にあっても、誰といても、それが誘惑する者であっても、あなたの居る場所で主の名を呼び求めるとき、主はあなたを肯定されます。サタンがあなたを否定し批難しても、主は否定されません。
王に自分の言い分を主張したアブラハムは否定されませんでした。平安のあるまま、時に主張し、信頼関係は積み重なります。ある人はあなたを批難し、ときに言い分を認められないこともあることでしょう。アブラハムの子孫にとって、ペリシテ人の地とは敵地ですが、アブラハムはその地で友を得るのです。イエス様は迫害を受け、中傷も打撃も喰らいましたが、神にあってこころは平安です。私たちも、寄留者のようにどこにも自分の居場所がないように感じることもあるかも知れませんが、平安を主から受けて喜び祈る者となりましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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