2023年4月30日 基督聖協団目黒教会牧師 都丸道宣
「信仰者の自由」 創世記21章8-21節
イサクの乳離れを祝う日、一大イベントの陰でイシュマエルがイサクをからかっています。サラはこれを見て大問題として、アブラハムにハガルも一緒に追い出すべき、と迫ります。アブラハムとしてはイシュマエルにも愛があり、そうしたくはないのですが、神様はサラの言う通りにするよう言われます。
家の中に2つの民族、どちらも大きな国民となる。片方は世界を相続し、片方は違う。自由の子と奴隷。肉による者は、御霊によって生まれた者を迫害する、とパウロは言っています。(ガラテヤ4:29)小さなイサク(2,3歳)が青年イシュマエル(17歳前後)から迫害を受けているのです。奴隷とは妬みと憎しみの奴隷なのです。死の恐れに責め立てられ、いのちと永遠を攻撃したいと考えます。ハガルはもはやアブラハムの家を出て、奴隷ではないのですが、心は奴隷でした。魂は自由を受け付けません。
イシュマエルの結婚相手を選んでくる母親との間には不適切な距離感を感じます。親子の依存関係、主従関係。一度は目が開かれ、井戸を見つけ、命を得たはずが、奴隷から脱却出来ていません。イシュマエルは大いなる国民となる約束を得ていますが、その国の民がまるごと奴隷のスピリットを受け継ぐなら、破壊と抑圧の加害者か被害者となり果てるのです。自由を受け継ぐ者は、その渦の外に居ることができます。
強制収容所のある所長は薬を購入し、収容されたユダヤ人に使用していました。ある囚人は他の囚人を虐待していた、と言います。害を加える立場にあっても、救いを投げかけることは出来、どん底にまで落ちても、さらに蔑むことが出来ます。加害者、また被害者になる可能性を訴えるのは誰でしょう。そして訴えつつ、誰かを害してしまうのは仕方のないことなのでしょうか。魂に自由がある人は、それらの中にあっても、賛美が口からこぼれ、喜びを上から受け取ることが出来ます。世界の相続者は自由の子として、祝福を祈り続けることが出来ます。大不況の嵐の中でも、自然災害や人災で、多数の被害者が出たとしても、神とのパイプを途切れさせることなく、恵みを見つめ数え、喜びを人々に流していくことが出来るのです。
人の繋がりをパイプで表すとすれば、イシュマエルとイサクとのパイプに濁りが生じてから、サラ、アブラハム、アハブへと、繋げられたパイプに淀みが生じていくのが分かります。その中、神からの声に反応したアブラハムとアハブに平安といのちが生じています。神とのパイプに影響されると、人間関係に威力を発揮します。人を生かし、人生の答えに結び付きます。神の声を聞き、目を開かれ、行動に移していきましょう。自由の子として、世界の相続者に加わりましょう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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