2023年02月05日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「失望はない」ローマ9:30~33
イスラエルは、優秀な民ではなかった。神が一方的に恵みの契約をイスラエルと結び、イスラエルとともにおられたゆえに特別な民だった。イスラエルの歴史は神に背かずにはいられない人間の弱さを露呈したものだった。金の子牛を作り拝むという大罪を犯したイスラエルのためにモーセはとりなした。出エジプト34:09「ああ、主よ。もし私がみこころにかなっているのでしたら、どうか主が私たちのただ中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民はうなじを固くする民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自分の所有としてくださいますように。」選民とは、神の一方的な恩寵を一身に受けている民のことだ。しかしイスラエルは律法を行う自分の功績によって神の義が得られるかのように追い求めた。パリサイ人は、罪人達を審いたが、イエスは罪人の理解者となられた。なぜなら父なる神は人が肉にすぎないことを心に留めておられるお方だからだ。イスラエルを過ちに導いた者は王や宗教的指導者だ。その権力でイスラエルを正しく導くべき人々がイスラエルを滅亡へと導いた。イエスは、彼らを目の見えぬ案内人達と表現した。盲目の案内人によって救い主はつまずきの石として捨てられた。指導者が、神から負わされる責任は重い。信仰の父アブラハムは、自己保身のため妻のサラを妹と偽り王に差し出し、謙遜の人モーセも失敗のために約束されたカナンの地に入ることを許されなかった。詩篇19:13「あなたのしもべを傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。そのとき私は大きな背きから解き放たれて全き者となるでしょう・・」大罪から逃れるには神の助けを仰ぎ求める以外にない。Ⅰペテロ2:1~6「…あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを確かに味わいました。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。・・『見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。』人の深刻な弱さと醜さも、はかない神への誠実もイエスは見通される。それでも「生きよ」と御手を差し伸べるイエスのいつくしみを私たちは味わった。恐れずに、弱いままでイエスのもとに行こう。「主のもとに来なさい。」律法には出来なかったことをイエスは成し遂げる。つまずきの石として捨てられた救い主は、信じる者の土台となり、聖霊の住まわれる霊の家として私たちを築き上げる。聖書を通し、祈りを通して神の愛、きよさ、正義、あわれみを知る者とされて、イエスに従って行こう。時に激しい試練が私たちに襲いかかる。しかし、私たちのために十字架の苦しみを忍ばれたイエスの愛が、私たちの土台には据えられている。イエスは片時も離れずともにいて、ともに痛み、苦難を乗り越えさせ、私たちの信仰を揺るがないものにすると約束する。イエスに信頼する者は失望させられることはない。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です