2022年12月4日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
イスラエルの回復 ローマ9:1~5
パウロは罪ある者を義とするイエスの十字架の愛に、旧約聖書に見られるイスラエル救済の歴史を重ね見る。神は、アブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約を破棄することはなさらない(レビ26:42~45)。イスラエルの不従順を神は懲らしめ、罰せずにはいられないが、ご自身が変わらずイスラエルの神であり、父であることを根拠に、イスラエルの祖先達と結んだ契約を破らず、イスラエルを滅ぼし尽くすことはしないと宣言される。イスラエルは神の子とされる身分を与えられている。慈しみ深い神は、ご自身が人に与え得る最上のものを。いえ、もはや神ご自身をイスラエルにお与えになった(申命記4:7~8)。子とされたイスラエルには、父なる神の愛に応える責任があった。しかしイスラエルは父なる神を捨て、他の神々に依り頼んだ。神はイスラエルの裏切りに苦しみ、御心を痛められ、彼らの罪に対して激しい怒りを燃やした。それは神の子に対する父の指導であった。神のイスラエルに対する愛は揺らぐことがない。(ローマ9:1~2)聖霊とパウロの心は一つとなり、深い痛みと憂いをもってイスラエルがイエスを信じ、神の民として回復するように祈る。イスラエルが救われることは神のご計画であり、燃えるような神の願いである(エレミヤ33:20~26)。神はエレミヤを通してイスラエルへの審きと回復を繰り返し宣告した。神はイスラエルを神の子として回復させ、神の御心を行う民へと再び回復される。これは聖書にある神の真理である。ところが4世紀、キリスト教がローマの国教とされ、国家権力と一つになると、教会をあげてイスラエルへの侮りがユダヤ人を襲った。「教会がイスラエルの立場を引き継いだ」「ユダヤ人は選民としての地位を失った」「聖書にあるイスラエルは教会をさしている」「イスラエルへの約束はすべて教会に与えられ、ユダヤ人から取り去られた」と主張し、ユダヤ人に対する強制改宗、社会的差別、迫害がキリストの御名のもとに行われ続けた。教会から始まり4世紀から20世紀にかけてヨーロッパ中に広がり根付いたユダヤ人に対する憎悪はナチスドイツに利用されユダヤ人大虐殺の悲劇を実現可能なものとした。パウロはローマ人の手紙のうち3章をさいてユダヤ人の神の子としての回復が旧約から約束されている神のご計画であり、定めであると説いている。私たちは聖霊の導きをいただき、聖書にある神の真理を知るものになりたい。もし神が、イスラエルの犯した背信の罪によって彼らを見捨てるなら、私たちも自分の犯した罪により切り捨てられるだろう。しかし神はイスラエルを滅ぼし尽くすことも見捨てることもなさらない。国を失ったイスラエルは、1948年5月14日に国家を再建した。ヨーロッパ、ロシアからも多くのユダヤ人がイスラエルに帰還している。時が来たなら彼らの内に霊的な復興が必ず訪れるだろう。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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