2022年11月6日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「ミステリー」Ⅰコリント7:29~31
悪性脳腫瘍、余命1年と判明し、その因果関係を疑った。(俺は罪人だ。だが、余命と向き合うほど、神の律法を冒しただろうか)。答えはない。
「ヨブ記」は、ヨブを訪れる三人の友が「災いは、罪との因果関係によるとの固定観念を頑なに守るのに対し、「自分の苦しみは罪の結果ではなく、人智に計り難いミステリーだ」とするヨブとの対話だ。神は最後ヨブに語るが、苦しみの意味を探る者に対し、神の知識と対等に立とうとするなと教えるにとどまり、人間の苦しはミステリーのまま残される。だが人を愛する神は、ミステリーの幕のかなたで、暗中模索する私を支える。
私も一年数か月の間生き延び、心は平安だ。苦しみの意味など、大それたことも考えない。
ヨブは、ミステリーの正しさを素直に見て、受け止めた。そこに、ヨブの類いなき義人としての生き方があった。ヨブという正しい人間のいたことを私は忘れない。地上での日々が十分に満たされたとき、ヨブは安らかに死んだ。
「時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。 泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように…世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」(Ⅰコリント7:29~31)。この世の出来事を深く信じ過ぎてはならない。家庭の幸せも、自分の健康も、社会的地位も、国家間の平和も、なにがしかの財産も、すべて信じ過ぎてはならない。「幸福」も「不幸」も、どちらも深くは信じないことだ。「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」(ピリピ4:12)。どんな境遇に置かれても自分を見失わず、この世の幸福も不幸も信じないことだ。「泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように…この世の有様は過ぎ去るからです」。貧しさも富も仮初のもの、一過性のものを人生の本質と勘違いしないことだ。この姿勢は私にある覚悟を強いた。生きること、信仰の歩みは単純ではなく、これで答えが出たとする性急な結論を避けなければならない。
病気にならなければ、どうしてこのようなことを考えただろう。すべての出来事は、私たちが学ぶために共有する相続財産である。ミステリーの正しさを素直に見つめる者だけが遺産の意味を知る。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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