2022年9月11日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
主題「純粋な信仰で従う」創世記17章
 神様がアブラムの前に13年ぶりに現れました。前回はイシュマエルの産まれた頃に現れています。神様は言われます。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ(1)。」全能の神様が、全ての悩みを打ち破り、新たな希望をもたらすお方として現れてくださいました。契約は無効とはならない。人には遅いと感じることがあるかも知れないが、神様にすれば、ベストタイミング。ゴッドタイミングにベストアンサーを持って来られました。契約続行です。アブラムの名前はそのときアブラハムとなり、サライはサラへと変えられました。それぞれ、国々の父として、国々の母としての備えはどうか、最後の確認です。そして来年、二人に息子が与えられる。その名はイサク(笑い)。その名の由来はアブラハムが出産の知らせを受けたときに笑ったためであり、子が生まれるのは不可能だと思ったからでした。私達も神様が進めようとなさることに疑いを持ったり、不可能だと決めつけてしまったりすることがあります。一度は熱心に祈っていたことを諦めてしまうこともあります。それでも主は祈りに答えてくださることがあります。アブラハムは契約はてっきりイシュマエルによって進んでいくのかと思っていましたが、神様の答えはイサクによる契約の継承でした。100歳の者に子どもが与えられ、90歳の女が子を産む。アブラハムは無理だと笑いましたが、主はことごとくわたしはそれが出来る、と答えられたのです。割礼が契約のしるしとして示されます。子どもはまだ与えられていませんが、神様のみことばを、来年の出産を信じて、アブラハムはすぐに家の男子全員に割礼を施します。割礼は強制ではありません。やるのもやらないのも自由です。家の男子は全員応じています。祝福が家に満ちていきました。奉仕や献金も強制ではありません。自ら喜んで献げるなら、祝福は増し加わります。心に割礼を、と主は願われます。主の霊を受けるため、肉と決別を、と主は言われます。不安と疑い、驚きや戸惑いなどがアブラムにはありましたが、アブラハムとなって、信仰と希望に満たされています。神の約束を信じて、純粋に従う喜びに満たされています。私達も神には出来ない、これは無理、と言いたいこともあるでしょう。しかし、そのような疑いを捨て、みことばに拠る確信を掴みたいと思います。神様にはどんなことでもできる!そのような純粋な信仰に導かれようではありませんか。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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