2022年8月21日 聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
「肉に蒔く者、御霊に蒔く者」創世記16章
子を産んでいないアブラム夫婦に女奴隷ハガル。三者の投げ込んだ石から波紋を生まれていきます。波紋は嵐のように三者の心をかき乱し、魂に言いようもない不安を刻んでいきます。神様の約束は必ず成ると信じながら、人間は自分の努力によって、神様の約束への道筋を邪魔することがあります。サライは社会的に悪い、道を踏み外したことをしたわけではありませんでした。自分の奴隷によって子供をもうけ、その子が家を継ぐ、というのは当時、当たり前の慣習でした。そこに罪意識を持つ必要はありません。しかし、犯罪は犯していなくても、原罪に引っかかるものでした。主の喜ばれることから外れていたので、悔い改める必要のあったのです。それは子孫の約束について、主に聞かずに自分で解釈し行動を起こしたからです。それで、ハガルが子を授かり、彼女を見下すようになると、怒りを覚え、逃げたくなるほどのきつい仕打ちに出ました。社会的に認められたい思いをサライがもっていたことも推察されます。アブラムはそんなサライを最初から見ていたにも関わらず、見過ごしていました。なあなあでやり過ごし、サライとハガルに生じた破れに立つこともなく、自分に矢が飛んでこない安全地帯に隠れているようです。愛の反対は無関心といいますが、そのような行動です。ハガルは女主人の代わりに子供を産むことになりましたが、授かると女主人を見下し、第二夫人と呼ばれるような立場ですが、自分の優位を誇っています。そのためにサライの怒りを買い、家には居られなくなり、逃げることにしました。身重なまま飛び出し、荒野にある泉のところで一息つくと、主の使い(受肉前のイエス)に出会います。主の使いは過ちを指摘し、帰るように告げます。帰ってへりくだり、主人に仕えるように。そうすれば多くの子孫と土地を得る。アブラハムを祝福する者の受ける祝福を、逃げている途中の元奴隷は約束されたのです。すぐに従い、三者から生まれた波紋の一つが収まりました。波は誰かから始まり、他の誰かに影響を及ぼします。同様に、波が収まった、というのも影響力を及ぼします。イエス様は私達の心の波を収めます。肉による行いは滅びをもたらしますが、御霊による行いは永遠のいのちをもたらします。イエス様の平安を運ぼうとする者に主は訪れてくださいます。そのとき、主の求めに応じる備えは出来ているでしょうか。へりくだるべきはへりくだり、約束を得たハガルの従いに見習いたいと思います。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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