2022年7月17日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山聖司
「希望」ヨハネ13:1
ユダの滅びは、銀30枚でイエスを売ったからだろうか。二日後、ユダは後悔している。あのお方は、かつて仰った。〝後悔する一人の罪人のため、御国では悔いる必要なき九十九人より大きな喜びがある。〟また裏切り云々を問うならペテロも同じはずだ。〝あんな男、知るものか!〟と、呪いの言葉で誓っている。ユダとペテロ、どちらの罪が大きいか、誰が白黒つけるのか?二人は裏切りの同列にいたのだ。二人を決定的に区別したのは何か?「希望の有無」、それ一つであった。ペテロは己の弱さを見つめ、すべての罪に打ち勝つイエスの救いの力に、希望の限りを賭けた。主は自分の罪より強い、と堅く信じ、魂の底からすがりついた。だがユダは、己の罪に絶望した。絶望は銀三十枚の裏切りより、比べられぬほどの裏切りであった。絶望は、無限に大いなるメシアの生命力、その愛を信じない最終的救いの拒否である。己の殻に閉じこもる魂の閉鎖である。絶望が、闇の力、サタンを呼び寄せた。ユダには、ペテロのような幼子の心はなかった。「主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」(イザヤ1:18)。あのお方の死より少し前、城壁外の南の谷、首を吊ってくびれながら揺れるユダの死体。その胴体は無残に裂け、はらわたが垂れていた。新約聖書は罪人の追放について慎重であり、軽々に裁くことをしない。〝もし誰かが罪を犯したなら、まず彼と一対一で話し合え。彼がお前の言葉を聞くなら、彼を罪の中から取り戻したことになる。聞かなければ、二人、三人の力を借り、話し合え。それでも聞かぬ場合、教会で話し合え。教会でも聞かなければ、彼はお前にとって、異邦人になる〟さらに、あのお方の言葉だ。〝国庫から六千億円もの巨額な金を借り、未返済のままの男がいた。返済のあてがないのである。王は哀れに思い、すべての負債を免除した。その男、王の前を去ると百万円貸したままの仲間を見つけ、喉を締め上げ、返済を迫り、返すあてがないと知るや、その筋に訴え、牢に放り込んだ。一部始終を知った王は男を呼び出し、厳しく言った。『己に与えられた赦しを、なぜお前の友に与えなかったのか』…〟これを聞いたはずのユダは、なぜ絶望したのか。希望を持たなかったのか。あのお方の赦しを信じない。絶望は銀三十枚の裏切りより、比べられぬほどの裏切りである。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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