2022年7月10日 基督聖協団目黒教会 牧師 都丸道宣
「恐れ、疑い、不信からの信仰義認」創世記15章1-6節
戦いにおける大勝利があり、サレムの王からの聖なる祝福がありました。しかしなぜかアブラムの表情は浮かない様子。恐れが心を占めています。対外的には礼拝者の模範たる態度なのですが、心中穏やかではない。神に対する納得出来ない思いがあります。それが主からの一言で噴出していきます。「アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの報いは非常に大きい。(1)」主からの紛れもない祝福です。主がアブラムを守る盾であり、心も体も守ってくださる。そしてアブラムの行動や態度に誠実さがあり、忠実だったので、その報いは大きい、報いとはわたし自身だ。と、これ以上ない喜びの表現ですが、アブラムは、あなたは何をくださるのですか?と、反論します。さらに核心に触れ、「私は子がないままで死のうとしています。(2 )…あなたが子孫を私に下さらなかったので、私のしもべが私の跡取りになるでしょう。(3)。」神様ご自身が報いとなられても、家はもう自分の代で途絶えてしまう、子がないのですから…。これまで神様の発言に完全なイエスマンだったアブラムの最初の反抗は神の約束の中心的な部分に対する疑いでした。肉体には老いが迫ってきています。それは妻も同様。肉体的には常識で考えるなら子供は出来ない。そこに恐れがあったのです。しかし神も反論されます。あなた自身から生まれる者が跡継ぎになる。そう断言されます。そして、畳みかけるように空の星を見上げさせます。この星の全てを数えられるか?これがあなたの子孫の状況だ。現実に打ちのめされることがあります。過去の栄光に執着していることがあります。アブラムは将来と希望に目を向けさせられました。そして主の偉大さは自分の想像では遥かに及ばない。と愕然とし、遥かなる主を見上げ、このお方が盾となり、なり続けられ、報いとなり、関係し続けてくださることを確信しました。恐れは取り去られ、疑いと不信から解放されました。その瞬間、アブラムは主に義と認められました。将来の希望は、過去の栄光や人へのへりくだりから生み出されるのではなく、主を知り、主を見上げ、信じるときです。主はそのときあなたを義と認められます。現実はあなたに醜さを見せつけます。老いを、生きていく虚しさを浮き彫りにして迫ってくるでしょう。星を見上げ、主を見上げましょう。内面を見て落ち込むとき、遥か高いお方のみ言葉に目を上げ、耳を澄ませましょう。主から来る希望は揺るがず、主の報いは人をどん底から救い出します。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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