2022年6月12日 基督聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「いのちの御霊」 ローマ8:1~11
サタンに騙され、神の領域を侵した人間は罪の法則のとりことなった。そのため、隣人の領域を侵し、自然界の領域を侵し、自分が関わる全ての関係で不調和を招くようになった。神が人間に与えた「神を愛し、あなたの隣人を愛せよ」との戒めは、殺伐とした時代に生きる私たちに平安を与えるものである。だがそれを実行できない現実に絶望する。イエスの証人として走り続けたパウロでさえ、「私はみじめな人間です」と嘆いている。神はイエスによって私たちの嘆きに希望の光を与えてくださった。イエスは私たちと同じ罪深い肉の姿をとって地上に遣わされた。イエスは神とご自身に反対する勢力から命を狙われ、激しい憎しみを受けたが、ただ神の御心だけを語り、行われた。神と断絶され、万民の罪の審きを負う、激しい恐れと苦しみに悶え、十字架に進まれた。私たちの主イエスだけが「神を愛し、隣人を愛せよ」との戒めを完璧に実行されたのである。神は罪のないイエスを甦らせ罪と死を打ち負かし、完全な勝利者となられた。それはイエスを信じる者が永遠のいのちを得て、イエスとともに生きるためであった。イエスは復活した後、弟子たちに御姿を現され、歓喜する弟子たちに命じられた。「聖霊受けなさい。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたたちを遣わします」。聖霊なる神は世界が創造される時から神とともにおり、神の御心を人間に現され、御心に従う原動力となられた。聖霊はメシヤを信じる全ての者に注がれ、大きな働きをされると旧約聖書で預言されていた。聖霊が来られることは、イエスが地上におられるより人に益をもたらし、信じる者たちを通してこの世界に神の支配をもたらす。初代教会の活動は聖霊の主権のもと進められ、聖霊を受けた弟子たちによって世界中に福音が広がった。使徒たちは命がけでイエスを証するものに変えられたのだ。いのちの御霊の法則が罪と死の法則から使徒たちを解放した証である。それは罪を犯さない者になるわけではなく、キリスト者としての闘いは地上の歩みを終え、栄光のからだを着るときまで続く。だが私たちの内には神の御霊が内住され、援助者、弁護者、激励者、とりなし手となってくださる。神の御霊、イエスの御霊とも呼ばれる聖霊とともに歩む者に、神の御業が現されるのだ。

カテゴリー: 礼拝メッセージ

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