2026年4月5日 聖協団目黒教会 牧師 横山さおり
「空の鳥・野の花」マタイ6:25‐34
自然界は神の英知によって組み立てられ、神の愛によって創造された。人もまた。イエスはご自分の頭上をはばたく空の鳥、足もとにしずかにたたずむ野の花を指し示し、神のいつくしみが被造物の上に注がれていることを教えられた。生きるために悩み、金銭に執着する人々に対して被造物を養い守る神に目を向けるよう教える。いつの時代の人も未来に対する不安と恐れを抱えている。人生100年時代と言われるが、不安定な時代で働けなくなってからの生活費を年金と貯蓄だけでやり過ごす危うさに不安を感じない人はいない。こんなに不安な要素に囲まれ、将来のために人生設計を行おうと勇んで取り組むとき、空の鳥や野の花に現れている神の愛も真実も見る余裕がなくなる。それどころかイエスのおことばは全く現実離れした無責任なことばとさえ感じるかもしれない。しかし、イエス自ら生きる苦労を味わい、空腹、病、孤独、迫害に悩まされる人の間に生きておられた。生きる悩みを知りつくしたイエスのおことばに注意深く向き合う必要がある。神は生きておられ、ご自身が召し出された者の人生に深くかかわるお方だ。旧約聖書において、神はイスラエルをご自身の背に背負って運び、幾度も民族絶滅の危機から救い出された。神は今もなお、イスラエルが神のおこころを携えて世界に現わされ、神の喜び、誉、冠とされるまで導かれる。しかし、すべての人は神に信頼することができない弱さを持っている。モーセに率いられて荒野を旅したイスラエルの民は、神の力ある業を見ていながら常に心が迷っていた。彼らは「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って主を試みたが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」という不安と不満の叫びは私たちの信仰人生においても全く同じように付きまとう。モーセとイスラエルの民が約束の地カナンの手前まで来たとき、神は12部族の族長をカナンの地に偵察に遣わした。偵察から帰って来た時、神の約束してくださった地を獲得できると神を見上げた族長はヨシュアとカレブの二人だけだった。10人は不安と恐れを抱いたまま未来を選択した。カナンの地を獲得することは不可能と決断し、エジプトに帰ろうとした。この不信仰に怒りを燃やした神はこの時代の人々がカナンの地に入ることを許さずイスラエルの民は40年の間荒野をさまよわなければならなかった。神の御計画に従う者の未来は神が保証される。「神の国と神の義を求め続けなさい」このおことばは神の祝福と守りを得る鍵だ。神の国というゴールから目を離さずに歩み、神のおこころを行うことを求め続け、私たちを義としてくださる神のあわれみにすがる敬虔な者。そのような人の必要のすべては神が備えてくださる。聖霊の平安が私たちの上にあるように。